モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

日常に潜む下品な言葉

世の中にはひどく下品な言葉があります。”ピー”や”おピーピー”や”ぐっchピーピー”等。

こういう言葉たちは普段は成りを潜め、表の社会に出現することは稀です。

だがしかし、その中でもかなり下品な部類に入る表現にも関わらず、我々の日常の中で市民権を得ている言葉があります。

いや市民権を得ているどころか、フォーマルな会議ですら、使われることがある、恐ろしい奴だ。この業界から一般社会にまでのし上がったやつが他にいるとしたら飯島愛くらいだ。みひろではまだまだ弱い。

その言葉とは何か。

ぴんときました!?

そうです・・・「おかまをほる」または「おかまをほられる」という用語です。

重役達が集まる経営会議の中で、安全に関する報告が重要視されている会社は数多あることでしょう。その中で安全担当役員が言います。

役員「今月の交通事故は一件。当方に過失はなく、いわゆる”おかまをほられた”ものです」
社長「そうか、”おかまをほられた”のならしょうがないな。お互い大きな怪我はなかったんだろうね?」
役員「はい。幸い”ほられた”方はナンバープレートの破損、”ほった”方はバンバーの凹みだけで済み、怪我はございません」

と何もなかったかのように、会議は厳然と続いていきます。

この会議に参加している誰もが、「”おかまをほる?”、あぁ、おかまだから後ろからつくよなぁ、ということは今回の交通事故もその要領で後ろからぐっとこう・・・」と頭の中で想像を膨らませているにもかかわらずです。その少し前には経営悪化の主原因を中東情勢の不安定化から導き出したり、新規事業の課題を解決するために大学の研究室と連携しようと話し合ったりしてます。その後で一回”おかまをほる”絵を想像して、また別の重要案件に移るのです。

なんでみんな平気なのだ!?

私くらい上品だと正式な場で”おかまをほる”というワードを聞いたら、恥ずかしさのあまり悶絶し、他のことが一切頭に入らなくなることでしょう。あまりにさらっとみんなが受け流すと、「ここに参加しているこいつら全員日常からおかまほりあってるんだ」と邪推せざるを得ない。

例えりゃ良いってもんじゃない。

だってさ、USBをパソコンに差し込むことを「俺のパソコンの○○にお前の○○をブチ込んで」とは言わないでしょ。もしおっさん同士がそんな会話してたらひくでしょ?

名刺を交換する時に「S○○というのは体液の交換だから、私とあなたの分身である名刺を交換するということは○○Xをしているみたいなもんですね、初対面なのに、なんだかキンチョーするなぁ」なんて絶対言わない。

でも、”おかまをほる”だけは大手を奮って歩いているこの違和感。こいつをスターダムまで押し上げたヤツは誰だ?私は認めないぞ。比喩としてはあまりに直接的で下品過ぎるからだ。

代替案として「蟻の門渡りを舐められる」を推します。蟻の門渡りという表現が好きだからです。

役員「今月の交通事故は一件。当方に過失はなく、いわゆる”蟻の門渡りを舐められた”ものです」
社長「そうか、”蟻の門渡りを舐められた”のならしょうがないな。お互い大きな怪我はなかったんだろうね?」
役員「はい。幸い”舐められた”方はナンバープレートの破損、”舐めた”方はバンバーの凹みだけで済み、怪我はございません」

気品が違いますね。これで心置きなく、会議中も蟻の門渡りに集中できます。