モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

新自由主義の病につける薬! 『武器としての「資本論」』 白井聡

この2年くらい何故か本を読む気にならなかったのは、どの本にも現状の課題を解決する方法が書いていないどころか、本当の課題が何なのか、というところさえ的はずれな気がしたからです。

 

私はただのサラリーマンなのですが、私が日々感じている課題は、他のサラリーマンの方々のそれとそう変わらないと思います。それは何か。

 

すごく単純な話です。我々日本のサラリーマンのほぼ全員が、経済が停滞している中で、会社に毎年の売上成長を達成する具体的な方策を求められ、未達成であれば吊るし上げられ、さらにその挽回策を求められ続ける環境に身をおいています。答えのわからない問いを問われ続け、それが分からないと他人から責められるだけでなく、自分で自分の無能感を日々痛感させられるという、いわば地獄のような日々を送っているわけです。

 

この地獄を抜け出す方法は「最高の睡眠メソッド」とか「対人関係を良くする心構え」とか「メモの魔力」とかには書かれているとは思えませんでした。世の中ではハウツー本が溢れていますが、その内容を鵜呑みにして数字を分析したところで、新たな勝ち筋が見えるわけではないし、広告費を増やしても買ってくれるお客さんが増えるわけでもありません。何をやっても成果は出ない。失敗しても良いと言ってくれる心の広い人はいる。でもその心の余裕は「最終的には成功するんだよな?」というプレッシャーと共にある。こっちは全く成功する芽が見えない。成功というのはすごくシンプルで、利益を出すこと。利益を出し続けて成長させ続けること。たとえ今多少損を出しても、今後利益を無限増殖させてくれる限り目をつむろう、そう言われているのだ。確かに今は損を出している。でも、今の失敗が次の無限利益増殖に繋がるとは思えない。そして、それを実現できない私は社会にとっても無価値な存在となる。そういう思考をぐるぐる回転させていると、何年かすると性格も変わってくる。卑屈で暗くて、失敗体験の積み重ねのせいでチャレンジしようと思わなくなる。私の昔のブログを見ると可能性に心をときめかせているのが思い出される。羨ましい、というか無知だったのか・・・。

 

 

そんな長く辛い日々にようやく一筋の光を射してくれのが、この本です。

 

 

武器としての「資本論」

武器としての「資本論」

 

 

まさに上のような思考の負のスパイラルに陥った人間に対して、大上段から頭を殴りつけてくれました。

 

P71 新自由主義が変えたのは社会の仕組みだけではなかった。新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことのほうが社会的制度の変化よりも重要なことだったのではないか。

 

中略

 

新自由主義とは今や特定の傾向を持った政治経済的政策であるというよりトータルの世界観を与えるもの、すなわち一つの文明になりつつある。新自由主義ネオリベラリズムの価値観とは「人は資本によって役に立つスキルや力を身につけて初めて価値が出てくる」という考え方です。人間のベーシックな価値、存在してるだけで持っている価値や必ずしも金にならない価値というものを全く認めない。だから人間を資本に奉仕する道具としてしか見ていない。

 

中略

 

資本の側は新自由主義の価値観に立って「何もスキルがなくて、他の人と違いがないんじゃ賃金を引き下げられた当たり前でしょ、もっと頑張らなきゃ」と言ってきます。それを聞いて「そうか。そうだよな」と納得してしまう人はネオリベラリズムの価値観に支配されています

 

 

 

まずはこの箇所が決定的に重要です。まさに今までの私が新自由主義的価値観に溺れた人間の一人でした。利益を出さないと価値がない。いまはだめでももしかしたら許されるかもしれない、でも、いつかは必ず利益を出せ、さもないと、社会から退場するしかない、そんな思いに縛り付けられていました。

 

でも、考えてみればそんなはずがないのです。私にもあなたにも家族や友達や恋人がいて、その人は私が資本を生み出すから一緒にいてくれるわけではありません。ただそこにいるだけで、嬉しい、そういう存在がこの世界にはあります。資本主義的価値観の真逆的存在といえる超大型犬を溺愛している私が、自分自身には資本主義的価値しか認めていなかったのが、情けないくらいです。お金では計れない価値はたくさんあります。私にとっての犬だったり、他の人にとっての子供もそうかもしれません。労働をするわけではないし、商品を生産するわけではない、自分で消費者として市場に入る事もできないし、何よりお金を1円も持っていません。それでも毎日、一生懸命生きて、周りを幸せな気持ちにさせてくれます。これ以上に素晴らしいことってあるでしょうか。

 

あまりに会社でのプレッシャーが大きすぎて、新自由主義的価値観に押しつぶされていた私でしたが、ようやくこの本で、その呪縛から逃れることができました。この本ではさらに現在の企業が抱えている根源的な悩みにも切り込みます。

 

 

p142 ビジネスの世界に PDCAサイクルという手法があります。計画、実行、評価、改善を繰り返すことにより継続的に生産性を上げていくやり方であるとされていますが、

中略

私が思うにこれは特別剰余価値の獲得競争の劇画なのです。本来、技術革新があってそれで新たな剰余価値の獲得が計画できるです。しかしイノベーションが行き詰っているので順番を逆さまにして先に計画してしまえば後から技術革新についてくるだろうと。ですがそんなに都合よく技術革新のネタが現れるわけではないので無意味な計画が立てられることになる。こんなの無意味だとわかっていてもひたすらプランを立て続け改革を続けていくわけです。競争相手がそうやって必死だしているからこちらも必死で走らなければ競争に負けてしまうでも皆が同じようにして走るから大した差がつかなくて大した特別剰余価値も手に入らない、結局はみんなくたびれ果てるだけで何の得もえられません。得が生まれるどころか無意味な仕事が山積みになっています最近人類学者のデヴィッドグレーバーの著作が注目を浴びています。グレーバーが指摘してるのは「ブルシットジョブ」クソのような仕事という意味ですが・・・

 

 

 

まさに私が置かれている状況です。実現不可能とわかっていながら実行計画を立案せねばならず、それをやったところで成果は得られない。得られないと分かっているからやらなくて良い、むしろやらない方が良い=クソどうでもいい仕事になってしまう。そんなことを2,3年続けていると、ブルシットジョブに心が侵食されていってしまいます。いやいや、ブルシットジョブなんて言わないで、もっともっと世の中が豊かになると信じて仕事を頑張れ、日本中のみんなが頑張れば、失われた30年も取り戻せる!という声もあるかもしれません。そういった楽観論にはこのような言葉が続きます。

 

p212 日本の高度成長が終わった理由として、オイルショックがよく挙げられます。しかしより本質的だったのは農村の過剰人口に基づく労働力を使い尽くしたことでしょう。典型的な例が高度成長期に「金の卵」と呼ばれた若者達です。地方出身の中卒の少年少女たちが就職列車に乗って都会に行ってきて工事などで雇われていた彼らが高度成長を支えたと言われています。それが高度成長につながったのは要するに労働力として安かったからです。ところがこの労働力は次第に安くなくなってきます。経済発展段階の差に起因する地方と都会の甚だしい格差は地方の開発が進むことで是正されていきます。発展の度合いが全国で均等になってくれば甚だしく安い労働力がなくなるので、すすでに雇った労働者についても同じ日本国民なのだから同じ生活水準を享受する権利があるはずだということで労賃が高くなっていく。中略、アジアでは日本に続いて韓国や台湾が高度成長の波に乗りその後に中国が大発展し今は東南アジアで高い経済成長を実現されていますが、それらの国が成長できるわけもまた日本の高度経済成長と全く同じであり、それらの国の高度成長がまた日本と同じ理由でやがて終焉を迎えるでしょう。このように現実の経済を観察していくとイノベーションによって生まれる剰余価値はたかが知れているのだとわかってきました。資本主義の発展の肝は結局安い労働力にしかないのです。。みもふたもない話ですが日本の経済発展が頭打ちになって時代だからそういうのではなくて、海外も含めて経済発展の歴史を振り返ることで結局すべての国がそうだったのだという真実が見えてきます。

 

 

つまり、もう構造的に経済成長はしないのです。ただ目の前の仕事に集中していればどんどん成長できた時代はとうに終わり、周りの国はまだそういう状態なので、焦るかもしれませんが、資本主義の構造上そうなるのだから、もはや受け入れるしかありません。

 

この本が教えてくれたのは、まず「新自由主義的がすべての価値観ではないこと」、それと「高度成長を追い求めるのは原理的に無理ということを認めるべき」ということです。

 

毎日毎日無理なPDCAを回して非現実的な結果を追い求めることに心血を注ぐのは心にも体にも良くないことです。たしかに世の中にあふれるビジネスハウツー本を読めば、局所的なイノベーションは起こせるかもしれません。ある業界のニッチなところで少しの利益を出せる環境はまだまだたくさん残っていることでしょう。でも、新自由主義というのは利益の大きさと無限成長だけを評価する世界です。比較対象はオールドエコノミー、つまり銀行、自動車、建設、などの超巨大市場が大量労働によって生み出してきた剰余価値です。果たしてニッチなイノベーションで、オールドエコノミーに対抗できる価値を生み出せるのでしょうか。

 

最近はDXという言葉が持て囃されていますが、オールドエコノミーの間尺でニューエコノミーを図ると、「なんでそんなくだらないことをやるの」という結論になりそうな気がしています。だって、全く新しいビジネスで10億円を作り出すのは血反吐が出るほどの努力が必要です。一方、オールドエコノミーの王者、自動車業界は400兆円と言われています。そんな巨大市場において、為替が1%ずれただけで4兆円が生まれたり、消えたりするのです。さらに自動車業界のような実態経済ではなく、その裏で動いている金融市場はその比ではないのです。このような新自由主義の世界で、イノベーションによって成長させようと藻掻けるのは狂人か、本当の天才の2種類しかいません。私のような凡人が竹槍をもって資本主義経済の衰退に抗おうとするのは無理筋なのです。

 

上記のような概念的な議論の次はリアル世界を扱っていきましょう。最近話題の本「人新世の資本論」もとてもおもしろい内容でしたので、次回紹介したいと思います。