資本主義の物理的限界が来た!『人新生の「資本論」』 斎藤幸平
先日、初めて地上波で「天気の子」が放送されて話題になりましたが、その中でもこの言葉が出ていました。「アントロポセン」、日本語では人新生(じんしんせい)と言われている地質時代の分類名です。人間の社会的・生物的活動が地球の地質の層として残り続けるほど、地球に対して大きな影響を与えるようになった年代、という意味で使われるようになりました。
そして今話題になっているのがこの本です。
この本はめちゃめちゃ面白いです。全ビジネスパーソンおよび就職活動中の学生、または進路を決めようとしている高校中学の生徒達にもぜひ読んでほしい。
内容は、現在の行き過ぎた資本主義にNOを突きつける、というものです。しかも、今政府や国連、経済学者が推し進めている環境政策を「現代のアヘン」と喩え、ばっさりと切り捨てます。
どういう話かといいますと。
2020年1月10日、この記事を書いている瞬間も、日本海側では記録的大雪に見舞われ交通網が麻痺するだけでなく、人間の生命を脅かすほどの災害になろうとしています。
昨今、この災害の規模が大きく、頻繁になっていると感じませんか。令和元年台風19号は関東甲信東北地方に上陸し、甚大な被害を出しました。カリフォルニアでは森林火災の被害が年々拡大し、2019年でも最大規模の被害が起きたと言われていましたが、2020年では前年比の20倍の規模の森林面積が失われたと言われています。ヨーロッパの熱波によって多くの方が犠牲になったというニュースを記憶している人も多いでしょう。
これらの天災はランダムに地球を襲っている神の気まぐれではなく、人間の活動によって生じる二酸化炭素が増えすぎたことによって、地球が温暖化し起こってしまった災害だと考えられています。
(地球の気温が上がれば、海の温度も上がり、台風が大型化します。森林火災は乾いた地域で起こります。温暖化が進めば地表の水分が失われ森林火災のリスクがより増加し、大規模化します。熱波は温暖化の影響そのものと言えます)
もうこの事は国際社会も素直に認めていまして、このまま同じように世界中で二酸化炭素を排出し続ければ2100年には地球の温度が今よりも4度上がることになり、その影響は計り知れないものになります。もしも、温暖化によって北極の永久凍土が溶けることになれば、その中に眠っていたメタンガスが噴出し、より高い温室効果を地球にもたらします。それがさらにメタンガスの排出を促進し、ポジティブフィードバックを引越、地球の温度は二度ともとに戻すことができない状態になる可能性があるのです。そうなる前に、2030年までに二酸化炭素の排出量を半分にし、2050年までにはゼロにしようのが国連の目指す姿です。
しかし、問題はここからです。
二酸化炭素の排出量を抑えるために、世界中でグリーンディールという経済政策が取られることになります。エネルギー業界における火力発電を風力、水力、原子力発電に切り替えることだったり、自動車業界において、ガソリン自動車の販売を禁止にし、電気自動車を普及させようとする動きがそれです。いま大企業を中心にSDGS(Sastinable Development GaolS 持続可能な開発目標)のキーワードを旗印に、それぞれのビジネスモデルの変革を模索しています。私が働いている商社業界も同様で、火力発電の輸出をしようものなら、若者からの非難の対象になりますし、石炭ビジネスをやると株主から注意されるような世の中になっています。
企業の人間はこれを新たなビジネスチャンスと考え、風力発電の投資だったり、電気自動車に搭載されるリチウムイオン電池の原料開発に着手したりしているのです。
この活動自体は、未来に向けたポジティブな動きだと認識されがちなのですが、実はことはそう簡単ではありません。
というか、ちょっと考えたら、誰でもわかることなのです。資本主義が求める無限の経済成長は無限の資源を必要とし、それに応じて二酸化炭素の排出は増えるわけですから。
現在、世界人口が約77億人。現在進行形でまだ増え続けており、彼らがみんなより豊かになろうと経済活動を進めれば、より地球資源が必要になりますし、そうなると二酸化炭素の排出量も増えます。たとえ現在よりも50%低燃費の火力発電所を開発したとしても、経済発展によって2倍以上の火力発電所が必要になれば、それは地球温暖化対策としては失敗なわけです。
本から具体例を上げます、
P90 電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという、ところがそれで削減される世界の二酸化炭素排出量はわずか1%と推計されているのだ。
電気自動車が普及したとしても、それを生産する過程で二酸化炭素が排出されれば、2050年までに排出量をゼロにする、という目標は達成することができません。
P69 2〜3%のGDP成長率を維持しつつ、1.5度目標を達成するためには、二酸化炭素排出量を今すぐにでも年10%前後のペースで削減する必要がある。だが、市場に任せたまま、年10%のもの急速な排出量削減が生じる可能性がどこにもないのは明らかだろう
この本の最もスキャンダラスなテーゼがこれです、つまり、経済成長と温暖化対策は原理的に両立しないのです。もうこの世界のすべての人に私達日本人のような生活をさせる資源はこの世界には残っていないのです。でも、現在、飢餓や貧困に苦しんでいる人たちの生活を無視して、もう経済成長をやめようとは言えません。一方、何かやらないとこの生活が破綻することも分かっている。そんながんじがらめの中で出た苦肉の策が、SDGSというわけです。
おそらく国連の方々も経済学者もそのことは理解しながらやっています。でも、どうしたら良いのか誰もわからないのです。
斎藤幸平氏の主張は「経済成長+温暖化対策の両立という欺瞞をやめて、脱成長にシフトすべき」というものです。
本書では実はマルクスの後期の主張も脱成長に通ずる論旨が見て取れる、とかコモンによって脱成長を実現できる、という展開が続きますが、正直言って、そこはあまり読む価値はないと思います。資本主義を突き詰めれば環境が限界を迎えるという現実をマルクスは見通していた、という話はマルクス研究をしている人以外は、本当にどうでもいい話です。うちのじいちゃんが言っていた、と同レベル、もしくはマルクスが言っていたのだったら本当だろ、という権威主義的挙動にも見えて、よりこの本の価値をさげているとも言える。コモンによって人間の生活基盤を支えるという主張も夢物語に過ぎません。
経済成長を止めれば、資本主義のかたすみでほそぼそと生活している人たちの生命を奪うことになるでしょう。(牛肉の生産が二酸化炭素排出の原因なので、牛肉の生産をやめようとなれば畜産業だけでなく、そこに付随したあらゆる業界(飼料業、海運業、陸運業、農薬業)の利益を圧縮し、今までギリギリの経営を強いられてきた会社は倒産し、従業員が徒労に迷うことになるでしょう)
彼らの生活を犠牲にしても良いという主張は今後もまかり通ることはありません。だから、脱経済成長にこの世界が方針転換することは、このままでは絶対にないと私は思います。
とすると、行き先が断崖絶壁だと分かっていながら資本主義という欲望列車を加速させ続けるしかないのでしょうか。
たぶん、この問題に対する解決策は技術革新と価値変革しかありません。技術革新で言えば、地球の二酸化炭素を劇的に減らすジオエンジニアリングの進展に期待するか、もしくは地球外に資源の供給を求めるか。この方針を取るには現在の資本主義を更に加速させて富めるものをより富ませることにより、新規投資に回してもらう必要があります。テスラやアマゾンが宇宙開発に着手しているのも、こういった人類の来たるべき危機を見越してのことです。
価値変革とは人間中心主義からの脱却です。温暖化された地球環境では生きられない人間の身体を最大の価値あるものと定義した世界こそが持続不可能なのである、という大転換。これこそSFの世界ですが、こういった議論も世界の片隅で主張している人はいるようです。
個人的には技術革新で地球外にさらなる発展を見出す、という方が夢があって良いと思います。
とにかく国連が進めているグリーンディールでは何も解決しない。SDGSで将来の地球に貢献していると思いこむのが一番危険、ということは意識しなければならないことかもしれません。この本でも述べられていますが、そういった環境対策をしないほうが良いと言っているわけではありません。やるかやらないならやったほうが良い。でも、それだけで目標が達成されるわけではないことは知っておかねばなりません。
この話は自分がなんのために生きているのか、ということを問うことでもあります。今ここ私が幸せならそれで良いのか。未来の子どもたちのために地球を残したいのか、100年後に地球を残したところで1億年後にはなくなるんだから、意味なくね?と考えるのか。私は、せっかくこの世界で意識を持って生まれたのだから、いつか、この世界の根源的不可解さを紐解いてくれる存在につなげていきたいと思っています。この問いを底流に起きつつ、今後も読書記録を続けていきます。
ではまた。