西野カナ『トリセツ』というセルフラブソングについて
恋する女の子の教祖的存在・西野カナの最近の代表曲に『トリセツ』という曲があります。歌詞は西野カナさんの率直な想いという訳ではなく、同年代の女子にアンケートを取り、平均的な女子の想いを綴ったものだそうです。
この歌詞が恐ろしい。
・ずっと優しく扱ってね
・返品交換は受け付けません
・急に不機嫌になるし理由も言わないし放っておくと怒るけど最後まで付き合ってね
・小さな変化を褒めてね、でも悪い変化には触れないでね
・古くなっても出逢った頃を思い出してね
・センスの良いプレゼントを頂戴よね、でも手紙が一番よ
・泣いたら涙を拭いてぎゅっと抱きしめてよね
・旅行にも連れてってよね
・豪華なディナーにも行きたいけど?
・とにかく広い心と大きな愛で全て受け止めてよね!
女の主張がワガママ過ぎると、男から批判が出ている歌詞なんですが、何が恐ろしいって、この歌詞、うちの奥さんと言っていることが一緒なんですよ、全く。この歌うちの奥さんが作ったんじゃないかと思った。
そして、この歌を奥さんが聴いた時、どんな反応をしたか。。
永久保証の私だから~♪
ちゃらららん♪
はい、終わりました。
奥さん、何も言いません。
あれ、と思い顔を覗いてみると。。。
号泣してるの。
わんわん泣いてるの。
まじかよ。他者理解の壁とはここまで高いものか。ウォール・マリアどころの壁じゃない。鎧の巨人をも跳ねつける100m級の壁が現れたよ!
何を泣いてるんだ。誰かが可哀そうなのか。嬉しいのか、悲しいのか。全く分からん。
よく批判されている通り、この歌には「私」しか存在しない。絶対的な私という個が存在し、その周縁に彼氏は存する。彼氏は、私を褒め、私にプレゼントを贈り、私のどんなわがままも笑って許して受け入れてくれる。ここに彼氏の個は存在しない。私を褒めて、プレゼントをくれて、わがままを受け入れてくれる人であれば誰でも良いのだ。
恋というのは唯一無二のあなたという個へ向かう気持ちのことを言う。私のことだけを歌って、彼の存在が見えないこの歌は恋の歌ではない、ラブソングではない。強いて言うなら「唯一無二の私」へのセルフラブソングである。
(若者の教祖・尾崎豊の「僕が僕であるために」という超セルフラブソング的なタイトルの歌でさえ「こんなに君を好きだけど明日さえ教えてやれないから」というあなたへの気持ちが現れている。)
このセルフラブソングを聞いてとうとうと涙を流すうちの奥さんは自分が愛おしすぎて泣いているに違いない。「私よ、もっと大事にされよ!もっと愛されよ!」という気持ちが爆発して泣いているのだ。
泣きたいのはこっちだ。
「旅行に連れていってよね、ディナーもね。プレゼントもよこせ、とにかく、くれくれ」と彼女は言う。彼氏が「愛とは相手に何をしてもらうかじゃなくて、相手に何が出来るかを考えることなんやで」と諭したところで「深い愛で全てを受け入れてよね!」と反撃されてしまう。なら別れれば良い?いやいや「返品交換は一切受け付けません、ご了承ください。」
男にとっては、なんか詐欺にひっかかったような。借金地獄に陥ったような、そんな不思議な気持ちになる曲ですね。タイトルは『(借金の)トリタテ』で良いんじゃないかな。