モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

スマホがあれば何でも出来る

なぜか今マレーシアのド田舎にいるのですが、ほとんどwifi環境がありません。街にもないし、レストランなんてそもそもない。ホテルでは大体故障していて使えません。空港から持ってきたポケットwifiも圏外になってしまいほぼ使い物にならない状態です。

今はたまたま知り合いのwifiを使える環境にいるので、貴重な時間でどうでもいい記事を書こうとしているのです。

ほんの5年前。スマホがそこまで普及していなかったころはwifiなんてあろうがなかろうが気にもならなかったのに。今ではwifiがない場所に放り出されると不安で不安で仕方がなくなります。

GoogleMapで現在地を確認したい衝動にかられ、はてなブログのアクセス数がどれくらい伸びているか気になって夜も眠れず、Youtube玉置浩二の歌が聞きたくて発狂しそうになる毎時毎分。

本当スマホ依存症だな、俺って、と思ってふらふら歩いていると、マレーシアのど田舎ですら誰も彼もスマホを手にしているのをみて驚きます。ダンプの積荷のところに15人くらい乗せられて移動している労働者もみんなスマホをいじっているし、ホテルで気だるそうに体を休めている家族連れも全員スマホをいじっている。あやしいタイガールが働いているパブでもみんなスマホでツムツムしている。タイガールがお酒を注ぐ時に露骨に怪しい白い粉を入れているのを横目でみながら、その粉にツッコむのも忘れ、「なんでお前らにはwifiがあるんだ、俺にはないのに」とツッコんでしまいました。その後の記憶はありません。


ガリガリでお腹ぽっこり出てるし、靴下はいてねーし、服もボロボロ、シャワーからお湯も出ない、トレイも流れない、電気もいきなり消える、屋根は穴が空いてていて水浸しの部屋で寝る、そんな世界ですよ。そんな最低限のインフラも整っていない生活の中にも、きちんとスマホは浸透している、そのことが不思議でなりません。スマホの力恐るべし。おそらく人間の生活に必要な三大要素はもはや衣食住じゃない。スマホだ。

ス マ ホ だ。
スマホがネットに繋がる環境があれば彼らは生きていけるのだ。服もいらねーし、飯も食わん、家は屋根がなくても構わんよ。やつらの服はスマホの液晶カバーだ。やつらはスマホをぺろぺろ舐めて空腹を満たす。やつらはスマホを枕にして寝ている。これが来るべき人類の新しい生活だ。

一方、日本の田舎をみてみよ。道路ばっかり立派になっちゃって。水が止まることもないし、隅々まで電気が行き届いている。自動販売機がそこら中に設置され、車で20分も行けばコンビニがあるだろう。なのに、スマホは使い方がわからず、まだパカパカ携帯が普及してるってか。なんて体たらくだ。恥ずかしくないのか。マレーシアを見習いなさい。彼らは衣食住なんていう旧時代的な煩悩から解き放たれて、全てをスマホに託している高貴な生き方をしている。我々もそうすべきだ。


私は今マレーシアの田舎にいる。
すげー腹減ってきたからさっきからスマホを舐めている、だんだん腹が膨れてきた、最高だ。
水があたって腹を下したが、トイレが壊れているので野糞をするしかない。紙はないがスマホのアプリでどうにかするつもりだ。
車がなくてどこにも行けないが、スマホのレースゲームがあるからスピード感あふれる移動を擬似体験できれば十分だ。

あ、でもwi-fiがないんだった・・・・。
あと数分で切れる・・・これからどうしよう・・・。
無事に日本に帰れますように。。