モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

メーカー系販売子会社の新人時代に鬱になった話

今週のお題「印象に残っている新人」


私が新入社員の時のお話をします。

私はある大手メーカーに入社しました。大手らしく4月から3ヵ月間の研修期間が設けられておりました。同期200人で全国の工場見学周りとTOEIC対策とビジネススキル研修をする日々でした。

今思うとビジネススキル研修なんて、微塵も意味がないので、大手は研修がしっかりしているという幻想は捨て去って結構だと思います。大手企業でうけた研修が役に立ったと言う人、何の研修がどんな場面で役に立ったのか具体的に教えてくれ。本当は一回もないだろ。ただしTOEIC対策を1ヵ月やってくれたのは私の人生にとって大変有意義でした。だってその5年後、そのおかげもあって転職出来たから。

まぁ、話は変わって配属の季節。6月末に配属先が発表され7月1日から配属先で働くことになりました。私の配属先は地方の販売系子会社。同期はゼロ人、同僚は子会社社員、東京まで新幹線で2時間、友達もいない。初めての一人暮らし。

地方のメーカー系販売子会社に勤めている方々というのは私が今まで出逢った方々とはまるで違う人種でした。私は私立高大一貫校から都内の私立大学へ進学、専攻は政治哲学、趣味は音楽と読書、お酒は飲まないし、煙草は吸わないし、ギャンブルの類は一切しません。その時までは結構ネタの引き出しは多いほうだと思っていました。アニメだって有名どころは分かるし、マンガも好きだ、ゲームも好き、サーフィンやスキューバもやっていたし、海外旅行で色々なところに行った。本で色々な知識も得ている。数学の本も美術の本も経済も歴史も好きだった。

でも酒とたばことギャンブルだけはだめだった。

一方、私の同僚達は全員お酒とたばこをこよなく愛し、ギャンブルに身を投じている方々でした。

「酒は飲めるの?」
「飲めません」
「たばこは吸うの?」
「吸いません」
「バイクは?」
「乗れません」
「車は?」
「ペーパードライバーです」
「パチンコは好き?」
「嫌いです」
「麻雀は分かる?」
「分かりません」
「競馬は?」
「すいません」
「競輪は?」
「ごめんなさい」
競艇は?」
「わかりません。」
「は?」
「ごめんなさい」

これじゃあ喧嘩を売っていると思われても仕方がありません。全く仲良くする気がない東京のエリートが腰かけ程度に田舎にきやがったなと思われました。酒飲まなくて、タバコ吸わなくて、車運転しなくて、ギャンブルしない若者なんて別に特殊じゃないと思うのです。都内の大学にいれば。

でもね、ここは地方の子会社だったのです。ここから壮絶なイジメが始まりました。

営業として担当を持つまでの3か月間。私は諸先輩方に同行して仕事を習うことになりましたが、ことごとくシカトされました。時には同行させてもらえず、一日中事務所に閉じこもっている日もありました。同行したとしても車に一緒に乗っているだけで、何の教育も何の会話もありません。私は完全に追い詰められました。どのくらい追い詰められていたかと言うと「コーヒー買ってきて」と声を掛けられた時の嬉しさで涙が出るほどです。

それほど孤独においやられていました。周りに相談できる同期も友人もいません。日中に動悸がして、大量の汗をかくこともありました。夜も寝られませんでした。

それでも仕事に、というか会社に行っていました。

金曜日の夜に母が迎えに来てくれ、一緒に実家に帰りました。その日の帰りに食べた焼肉の味は今でも覚えています。母は必死に慰めてくれました。次の日、心療内科にいき、薬を貰いました。

研修の3か月間だけ、そう言い聞かせてひたすら耐えました。

研修を終え、営業の担当を持たせてもらい、独り立ちした時の喜びは忘れられません。心が澄み渡り、一瞬にして薬を手放すことが出来ました。

そこからはひたすら自分との勝負でした。結果が出なくても会社はプロセスを評価してくれました。毎期最高の評価を貰い、そこからはトントン拍子のサラリーマン人生です。(ホントかよ)社長賞を貰った頃には、わたしをシカトしてた人達も味方になっていました。

毎年夏になるとあの時の苦しみが甦ってきます。あの時の苦しみがあるから今の自分があるとは全然思いません。あんなのない方が良いに決まっている。

でも、今思えば、みんなと同じようにタバコを吸って競馬と競輪に勤しんでいればあんな目に合わなかったような気もする。

でもでも、自分がそんな世界に浸れるような人間でないこともよく分かる。
どうすれば良かったかは分からないけど、何はともあれ苦しい日々は過ぎ去った。

メーカーと言うのはとにかくいろいろな人が居ます。ガチガチの研究オタクから中卒不良の工員まで様々です。銀行には理系や体育会系や商業高校の高卒はいますが、ギャンブルしか生き甲斐のない不良はいません。商社は同じタイプの人しかいません。容姿端麗で頭脳明晰でリーダーシップが取れて笑いが取れるクラスの人気者しか。

メーカーで働くということは
一生童貞の研究者と語らい、小学校から鉛筆も握ったこともないパツキンヤンキーとギャンブルに勤しむ、ということです。研究室で博士と流体力学の話をしながら、現場で新しいパチンコ台の話をするということです。

今は転職して同じような人達ばかりいる職場にいます。みんな有名大学を出てて、容姿端麗で一発芸を持ってます。すごく居心地が良いです。でもきっと数年後にはまた、言葉の通じない世界に飛ばされるんだと思います。文字通り言語の異なる場所に。

働くということはコミュニケーション不可能な他者と、どうやってコミュニケーションをとるか、そのことに尽きます。きっとそれはあらゆる知識や経験や教養や度量や才能や権力や財貨、全てが試される地平なのです。だから、面接ではコミュニケーション能力ばかりに焦点が当てられる。あなたは全くあなたの常識が通じない人とどう折り合いをつけられますか?そう問われている。こうやればうまくいくものなんてなくて毎日がトライアンドエラー間違いばかり。新人も先輩もみんなそうだ。そうやって生きていくしかない。そうやって10人中6人くらいとうまくやっていく素養というか覚悟が培われてくる。それを成熟と言う。我々は成熟するために生きているのだ。

あの経験が良かったとは微塵も思いませんが、辛い時期を過ぎれば、仕事が楽しくなる時期もあるってことだけは確かです。

新人時代には鬱病になっていた私が、今では仕事中にアホみたいブログを書く余裕を持てるまでになりました。

今は仕事がとっても楽しいです。