モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

2016年の振り返りと2017年の抱負

あっという間に2016年も終わってしまいました。そろそろ寝正月にも飽きてきた今、去年一年を振り返ろうと思います。


本、映画

読んだ本48冊。観た映画11本。2015年は本42冊、映画19本だったので、本が増え、映画が減りました。

これは仕事に活かせるようにビジネス本をよく読むようになったため、冊数が増えやすかったこと。国内で新規事業を始めたので海外出張が減り、飛行で見た映画が減ったことが起因しています。

仕事

2015年の年末にTSUTAYAをぶらぶらしながら思いついたビジネスを会社に提案したら、トントン拍子で課長、部長、執行役員、専務、社長、会長まで話が上がっていき、すっかり部を代表するプロジェクトに位置付けられるようになりました。ちなみに連結で60000人弱いる会社なので、社長の耳に届くというだけでも結構すごいことなのです。たかだか入社8年目の小僧が考えたアイデアがついに大鑑を動かしました。このプロジェクトは今年の3月に公式にスタート予定ですが、会社とブログを結びつけるとめんどくさいことになるので、ここでは詳しく触れない予定です。

まぁでも、ここまでくるのに様々な壁が立ちはだかっておりました。不安で何も手につかない日もありました、アイデアが浮かびすぎてワクワクして眠れない夜もありました、悔しくて涙した日も、あったかもしれない。まぁでも、このプロジェクトを境に自分の働き方が大きく変わったことだけは確かです。自分で問題を抽出して、自分で解決策を出して、自分で実行して、ひとを巻き込んで、やり方をやってみせて教えたり、何もかもが大変でしたが、充実していました。

与えられた仕事を淡々とやるだけの日々からどうやったら効率良くできるか考えるようになったのが社会人2年目くらいから。HOWの部分ですね。そして3年目以降、HOWではなくWHATを求められる部署に配属されました。転職をしてもやはりWHATの問題はいつもあって、いままで試してみた新規アクションは10や20じゃききません。try&errorの繰り返し。でも、ようやく実を結びそうです。0から1を生む苦しみって、1を2にするそれとは桁違いなんですよね。本当大変でした。もうやれる気がしません。まぁ、勝負は世の中に出してからなんですけどね。

すなわち、仕事は楽しく順調にやらせてもらっています。今年はこのプロジェクトを成功させて、できれば事業会社化させる決断まで出来たら素晴らしい!!

結婚生活

このブログにもちょこちょこ書いてますが、本当に大変でした。9時から19時まで7つの会議を経て、1時間電車に揺られて帰って、家は犬のうんこまみれ、ご飯も風呂も出来ていない、部屋は汚い、妻はすっぴんでパジャマで携帯ゲームしてる。身体を触れば嫌がる。上位1%以内の年収をもらっているのに月5万のおこづかい制。友達と遊ぶのにも許可がいる。妻の物欲はとどまることを知らない。それでも「いいよ」とニコニコしている自分。

いま思えば、これは「あてつけ」だったのだと思います。平日、身を粉にして働いているのに休日7時に起きて、妻の寝ている間にトイレ掃除、風呂掃除、犬の散歩、食器洗い、洗濯物、全部やって、夕飯も作る。「だから、離婚したいと言ってもガタガタ言うんじゃねぇぞ」というメッセージを発信していたのです。妻はこれに気づいていました。何度も話し合いをしました。その度に妻は私に罪悪感を持たせるような言い方で決着をつけようとします。私はなんでこんなに尽くしたのにすべて悪役で終わるのか納得がいかず、引き止めます。


この関係、何かがおかしいと思い、たどり着いたのが「境界性パーソナリティ障害」でした。妻はこの症状に完璧に合致します。人間関係を0か100かでしか判定できない。尊敬が軽蔑しかない。物欲に限りがない。自殺を仄めかす。すべてを人のせいにする。強度の見捨てられ不安。ワガママが通るほどのそこそこ良い見た目。この病名を知った時、「なんでこんなにいろいろな本を読み、いろいろな学問に触れ、ビジネスでもうまくいっているのに、こんな大事なことを知らなかったんだろう」と思いました。めちゃくちゃ大事ですやん、これ。こんな人にはまったら人生終わりですやん!!なんでみんな教えてくれなかったの!!義務教育で教えるべきしょ!「世の中には善意につけこんでくる悪い人間がいます。境界性パーソナリティ障害は病気なので、できるだけ逃げましょう!」って。


私は武道を嗜み、政治哲学を学んできた人間です。さらに内田樹先生を敬愛し、内田先生の言う「大人」になろうと努力してきました。大人とは自分と相手の間に落ちているゴミを自分から率先して拾う人間です。誰が悪いのかわからなくもて、自分から進んで責任を取りに行く人間です。私か相手、どちらかが負担するなら私が負担すれば良い。どちらかが悪いのなら、私が悪いということにすれば良い。それが人格陶冶の道であり、大人であり、倫理的な生き方だと信じてきました。そうすれば味方が集まり、よい共同体ができ、よい世の中になると。


でも、そういう人間とある意味最高に相性の良い人間が境界性パーソナリティ障害でした。彼らは人の善意にとことんつけこみます。感謝をまるで知りません。すべてを他人のせいにして生きることが出来るのです。看護学校入学の手伝いをしようが、生活費の援助をしようが、デート代、旅行代を全部出そうが、マンションを買おうが、就職活動を手伝おうが、退職活動を手伝おうが、ご飯を作ろうが、家を掃除しようが、300万円かけて家具をそろえようが、彼女の欲望が満たされることはありません。要求はどんどんエスカレートし、その要求が応えられなかった時、「なんで、こんなことになったの、あなたのせいで私は不幸になった」で終わりです。世の中、こんな人間がいるとは知りませんでした。人生観がひっくり返るくらいの大発見でした。


ただし、そういう人種がいるということが分かったので、相手の欲望に応えることだけが人生ではないと気付きました。今年は自分の幸せを追求したいと思います。みなさんも境界性パーソナリティ障害にはマジで気をつけてください。


2017年もよい一年になりますように!