モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

最近のもやもやを晴らすための思考整理

最近ずっともやもやしていることを言語化してみます。


新卒から就職した会社を5年で辞めた理由のひとつは「世の中に何も貢献出来ない仕事だったから」と思っていました。メーカーだったのですが、私のような文系の事務職が集まっている部署はモノを作って販売するという商売の流れの中に存在しなかったのです。作るのは工場、売るのは現地の代理店。本社にいる大卒文系の人間はそれらの活動を横からみてレポートを仕上げる、というのが主な仕事でした。


「こんなくだらないことをするために生きているわけではない」と当時の私は本当に思いました。すき家で牛丼を作っているアルバイトの人に嫉妬し、涙しました。「この人は人に役立っている、社会の中の役割を担っている、なのに私はなんのために生きているんだろう」と。


そんなとき、大学時代に無茶な起業を考えたことを思い出しました。定年を迎えた父に「やりきったと思える仕事」について聞きました。


このまま、ここにいては後悔すると思いました。せっかく大学まで出て、哲学勉強して、プログラムも勉強して、本もがっつり読んで、体も鍛えて、人間的成熟を目指して生きているのだから「誰も読まないレポート」を作り続ける40年は嫌だ、と思いました。自分の力を試してみたい、20代後半で腐ってたまるかと。そしてかなり自由にやりたいことが出来る会社に転職しました。


ここで私は世の中で初めての事業を創りました。小さな事業ですが業界では少し話題になりました。発想から2年がけで、めちゃくちゃ苦労しましたが、なんとか去年事業は開始出来ました。


そして1年が経ち、全く事業として成功する兆しが見えません。売上は超低空飛行で横ばい。経費は掛かり続ける。社内起業なので自分の生活が窮地に立たされることはありませんが、会社には迷惑をかけっぱなしです。


まだ1年、と言い訳することも出来ますが、個人的には手は打ちまくったつもりです。正直、もうどうしたら成功するのかよく分からない。とにかくもがいてみる、もがき疲れて休んでみる、の繰り返し。しかし、最近は全く成果がついてこないので、「どうせだめだろう」という失敗根性が染みついてしまった。失敗体験の積み重ねが人のやる気を削ぐということが良く分かりました。何やってもダメな時があるのと同じように。何やってもダメな事業があるのではないか、そんな気がしてきてしまっている。


前職は「世の中に全く貢献できない仕事」だからやめたと言いました。私は新しい会社で、新規ビジネスで世の中を変えられる、社会に貢献できると思い込んでいました。さらに、自分にはその能力があると思い込んでいました。でも最近、全然ダメだと実感しています。既に世の中は自分が思っていた以上に合理的に整理されていて、今までなかったビジネスというのは「なかったなりの理由」があって、必要なものはすでに存在しているものです。(なので新規事業を成功させる人って本当にすごいと思う、尊敬しかない)

自分がこんな事業を始めたからみんなに迷惑をかけている。自分の事業計画が無謀だったから、あたりまえに赤字を垂れ流している。自分の能力がないから事業を軌道に乗せられない。つまり、もともと自分には「世の中に貢献できる仕事」を遂行する能力自体がない、そんな事実が重くのしかかってきました。なのに、なにが新規ビジネスじゃ、貢献じゃ、転職じゃ、生きてる意味じゃ、バカかと。今の自分は情けなくて、ホント嫌になる。


とにもかくにもこんな私を雇って頂いて、給料を頂いているだけで奇跡。むしろ申し訳ない。入社してごめんなさい。生きててごめんなさい。こんな私が、前の会社で右から左へ流れる製品を見て誰も読まないレポートを書いて給料をもらえていた状態に感謝しなかった報いです。


自分の能力を適正に判断し、自分の能力で出来ることをやる、というのは生きていく上で必須のスキルでした。32歳になるのに、自分のことを全く客観的に見れていなかったことが恥ずかしい、自分のことながら片腹痛い。


今にして思うのは誰も読まないレポートなんて存在しない、ということです。たとえ企業の生産活動に直接かかわっていなくとも、そのレポートがある日脚光を浴びるかもしれない。会社が窮地に陥ったときにそのレポートから誰かがヒントを得るかもしれない。コンプライアンス違反を正す契機になるかもしれない。「誰も読まない」と勝手に決めていたのは私自身だ。その仕事もやり続ければ、きっと光輝くものになると信じ続けなくてはならない。それが出来ない人間はすぐに「意味ない」「つまらない」と仕事を投げ出して、結局何にもなれない生涯を送るのだろう、新規事業を始めても「意味がない」「つまらない」と投げ出すのだと思う、今の私のように。


ようやく思考が整理されてきたけど、出口の見えない新規事業を私は頑張り続けるしかない。出口はないのかもしれない。何も報われないかもしれない。でもやる。やるっきゃない。俺たちはいつもやるっきゃない。