モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

マンションと飲み会と研修

来年の3月に結婚する予定なので、マンションを買うことにしました。最初は蒲田らへんの賃貸に住もうと思っていたのですが、かねてからの、あこがれの地でマンションが売り出され、一目惚れしてしまいました。

無添加住宅は都心では現実的に難しい。賃貸は払っても自分のものにならないし、良いところに住もうとすると余裕で20万以上かかる。何よりも、彼女が目を輝かせて住みたいと言っているので、理屈抜きでここに住んでみようと思いました。

35年ローンを背負って生きていくことになりました。身体を壊して、働けなくなったらどうしようとか、鬱病になったらどうしようとか、様々な不安が頭をよぎりますが、将来のことは誰にも分からないので、その場その場でよかれと思った選択をするしかないなと腹をくくりました。

最近の仕事の話。GMAPも合格し、STC Associateの試験も終え、入社以来、ひさびさにゆっくり余暇を過ごせるようになりました。英語は引き続き勉強しなければなりませんが、絶対に合格しなければならない試験が直近に控えているというプレッシャーからは開放されました。仕事はまぁなんとかやっているのですが、飲み会がまだまだ大変です。飲み方というのは本当に会社や部署によって違うのですね。私はお酒が全然好きじゃない、というか大嫌いなので全く飲みたくないのです。どうでも良い人達と話さなければならない飲み会も全然好きじゃない。でも、いまの部署は6時半から12時近くまで、ダラダラひたすら飲み続ける人が多いのです。しかも飲めない人に強要してくる。なぜ、この人達がそんなに長い酒を好むのかは、また後日考えるとして、飲めない人に酒を勧める人の心理を少し考えてみました。

おそらく、彼らは酔っている時間を共有することで、その人に接近したいのではないかと思うのです。彼らは酒を勧めることで、酔って、お互いの素の自分をさらけだして仲良くなろうぜと言っているのだと解釈することにしました。でも、私はその誘いに露骨に嫌な顔をします。だって、親しくない人にいきなり素の自分をさらけ出したり、自分の考えを披瀝するのは恐ろしいから。文字通り無防備な自分というのは、ささいな言葉の刺で深く傷ついてしまいます。なぜ私がお酒も飲み会も酔うことも嫌いなのかと考えると、ここに行き着いたのです。酔って、他者に無防備な自分をさらけ出して、傷つくのが怖いのです。いやいや、腹を割って話し合えば、素晴らしい心のふれ合いを感じられるかもしれないじゃないか、という指摘もあるでしょう。でも、私は数人の心を許せる友人や、一人の恋人を持っていて、もう充分に満足しているのです。勝手に心の扉をこじ開けて欲しくないのです。そんな防御をしている私に、オープンマインドな方達は親切心から酒を勧めてきます。それを拒否する私に「なんだコイツは。俺と仲良くしたくないのか」と腹を立てるのも無理はありません。他者理解とはつくづく難しい。

もう一つ、研修の話。ビジネススキルの研修は多岐にわたります。いろんな研修がありますが、フレームワーク金科玉条のごとく掲げる研修がもの凄く苦手なのです。たとえば、SWOT分析とか、ホウレンソウの必要性とか、5W1Hのススメとか、ホールパート話法の導入とか。それ通りになっていないものを一刀両断に切り捨てるのでしょう。「あなた結論を先にいってませんよね?」とか。「自社の強みを先にもってくるべきでは?」とか。いやいやいや、そんなもの、ただのフレームワークであって、全てそれに当てはめればよいというものではないでしょう。人類が、部族ごとに物々交換をしていたころからの営みの経験を蓄積していて、ここをこう当てはめればより即効的に、効率的に、ことが運びそうだなという定理を抽出したのが上記の様な、フレームワークです。飽くまでも「そういう例」が今まで多かったというだけで、全てそれを用いれば解決するというものではありません。でも、最近のビジネス本とか、企業研修とかでは、このフレームワークがもてはやされ過ぎていると思うのです。先人達が、発想したこの枠組みは確かに画期的ではあるけれども、反射的にそれを適用しているだけじゃ、全くの思考停止です。ホウレンソウ?確かに野菜の同じ読み方だから、覚えやすいし使いやすいけど、その中には四方山話とか落語とか芸術とかが入る余地がないし、言外から染み出る体温脈拍の変化とか表情の硬さとか、そんなものが入る余地が全くない。結論を完結に先に述べる?それが一番大事なら、わざわざだらだらブログにこんなこと書くかいな。そこに至るまでの思考の迂回路をもう一回辿ることで新しい隘路を見つけて、別の結論にたどり着けるかもしれないから、私はこうやって文字にして書いているし、最初から人に説明しようとする。少しの時間経過と微細な気温変化によっても、結論なんてコロコロ変わるもんだ。考えるとはそういうことだし、人間が仕事をする楽しさや重要性は、この一筋縄ではいかない柔軟性にあると私は信じる。フレームワークが全て無意味だと言っている訳では断じてありません。フレームワークはただのフレームワークとして利用すれば良いのであって、それを過信していてはいけない。フレームワークの万能性を無批判的に信奉している限りブレークスルーすることは絶対にできませんよと申し上げているのです。型枠があれば、綺麗なクッキーを作れるけれども、せいぜいチョコチップを散らしたり、ふわふわの食感にしたり出来る程度です。型枠を外した先に、クッキーの無限の可能性が広がっている。

ってなことを研修の最後に熱弁したところ、みんなから「結論を先に、完結に言って下さい」「5W1Hは?」と諭されました。フレームワークに囚われる危険性を説いた言説をフレームワーク通りに批判され負けました。フェミニズムと戦うおっさんの気持ちがわかりました。しばらく、のほほんとします。