モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

僕に出来ること

地震から、二日。 まだどれだけの人的被害があったのか、把握しきれていない。 行方不明者が何万といるし、行方不明かどうかも不明な人が沢山いる状況だ。 テレビでは一日中被災地がどんな状況かを伝えている。 今、僕は水も電気も食料も潤沢にある安全域から、この報道番組を観ている。 どれだけ悲惨な状況か、次々入ってくる情報に胸を痛めている。 でも、安全域にいる人たちのための報道、という仕方に偏り過ぎているのではないか、という指摘を聞いて、反省した。 確かにその通りかもしれない。 避難場所で震えながら携帯テレビを見ている人たちが知りたいのは「マグニチュードが9.0に上方修正されたこと」でもなければ「管首相が命をかけて復興に臨むと意気込んだこと」でもない。 いつどこに何を届けてくれるのか、救援部隊はどこにいて何人配置するのか、食料水は足りているのか、元の生活に戻るためにどんなことをするべきで、どんな支援をしてくれるのか、そういう情報なのだ。 被災地の情報を安全域の人たちに伝えるためにNHKも民放も同じような映像を流し続けているけども、役割分担が必要なんじゃないかと思えてくる。 メディアの問題でいえば、新聞が本当に酷い。 どの新聞も一面の見出しは「原発爆発」だ。 確かに、外枠で水素爆発が起ったけれども「原発爆発」から喚起されるイメージは実際のそれとはかけ離れたものだ。メルトダウンなんて言葉も使っていた。何度も言うが、メルトダウンなどしていないのである。メルトダウンとは炉心溶解のことだ。原子力発電所が溶解し、放射性物質が外界に放出される大惨事のことだ。「原発爆発」「メルトダウン」からイメージされるものは、「消滅」である「終焉」である。事件ではなく、エンドである。 そんな言葉を軽々しく使っては絶対にいけない。ただ、インパクトのある言葉を使って新聞を手に取らせたいというだけの戦略でやっているとしたら、新聞社はそうとうな馬鹿である。呆れてものも言えない。 いま日本国民がやらなくてはいけないことは「うわ、すげぇことになってんじゃん」という面白おかしく興味を持つことじゃなく、全員でこの困難を乗り切らなくてはならないと自覚することであると思う。新聞社は国民の意識を向ける力をもっているメディアなんだから、そこんとこ自覚してよ、ほんと。 あと、企業の在り方も問われていると思う。 企業って何のためにあるのか、何のために利益を出しているのか。人間の命の為である。人々の生活を守るためである。それを邪魔するような企業に存在理由はない。どんなモノでもサービスでも人々の命を守り、生活を豊かにすることに貢献している。だから、人々の生活の根底が崩れた未曾有の事態に、企業はその存在をかけて、社会に貢献しなくてはならないんじゃないのか。 うちの会社は、まさにその製品で、人間の命を助けることが出来る。街の復旧を助けることができる。利益なんてどうでも良い。こういう時に、躊躇することなく人々を助けることができるように、我々は働いてきたのではないのか。 だから、社長・・・お願いだから東日本復興のために無償援助して下さい。 お願いします。 とりあえず、僕に出来ること。 募金をしよう。