モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

あなたは既に騙されている『ハサミ男』

ハサミ男 (講談社文庫)

ハサミ男 (講談社文庫)

徹夜本、大どんでん返しがある本、極上ミステリーの話題になると必ず挙げられる一冊です。これを読んだことないミステリー好きはモグリです。

いきなりハサミ男の独白で始まる超展開。古畑任三郎的な、犯人目線で事件を眺めて、刑事の解決ぶりを楽しむミステリーなのかと思いきや・・・。


最後の大どんでん返しは、いきなりすぎてさっぱり意味が分かりませんでした。違う小説読んでいるのかと思いました。ええええ!!?というよりも、ん?なんだなんだ??という感じ。


十角館の殺人は物語の根幹を覆す革命的な一行でしたが
ハサミ男」はどちらかと言うと「殺戮に至る病」や「葉桜の季節に君を思うということ」の系統です。

ミステリー好きは一度は読んだ方が良いと思います。

最近のこと

先々月末に32歳になりました。もうすっかり若者ではなくなり、アラサーとも言えない歳になりました。すっかりおじさんになってきたと自分でも思います。若い頃なりたくなかった「おじさん」になってみて、「おじさん」の正体がわかってきました。


まず大前提として「エネルギー」がないのです。朝、カフェで朝食食べて、午前中買い物して、ランチして、午後映画観て、夕方友達と飲みに行って、夜犬の散歩するっていう休日が不可能になりました。外出は午前か午後だけにしてほしい。そうでないと疲れ果ててしまい平日の仕事に支障が出ます。土曜日出かけたら日曜日寝たい。日曜日出かけるなら土曜日はゆっくりしたい。


さらに最近顕著になったのが「ハマれる」ことが減ったことです。20代前半の時も子供のころはあんなにたのしかったRPGゲームがなんとなく続けられなくなって不思議に思っていましたが、いまやその感覚が様々なジャンルに波及してきました。漫画読んでも途中で飽きるし、海外ドラマも1シーズン見れない、スマホゲームなんて絶対無理。こんなに動画配信サービスがあるのに映画を見る気にならないし、本を読んでもなんとなく流し読みするだけで、ブログにレビューを書くほどの感情量がない。最近、ブログの更新が減ったのはこのためです。


最後にもっとも影響が大きいと思われるのが「性欲の減退」です。男の活動の源泉は全てヤりたいため、と言っても過言ではありません。勉強頑張るのもスポーツ頑張るのも、モテてかわいいあの子と一発やるためだったはずです。小綺麗なかっこするのも、年収増を目指して転職するのも、すべてモテるためでした。でも、その源泉が尽きかけているのだからシャレになりません。ヤりたい!とかこいつを落としたい!という熱量がないから、勉強もスポーツも仕事もそこまで頑張る動機がありません。すべてほどほどで良いのです。だって大成功した先には性欲を満たすもの以外に得られるものって、何もないから。

お金がめちゃくちゃあっても寝られるのはせいぜい12時間だし、食べられるのは1日3食、服は1日1着しか着られない。美人を侍らせて豪遊したいならお金がいくらあっても足りませんが、普通に清潔な家で寝起きして、そこそこ美味しいとんかつ・すき焼きを好きな時に食べられて、きちんとした服を一着持っていれば、それ以上お金があっても、衣食住では幸福にはなれないような気がします。


だから私のようなおじさんが目指すべきものは、社会的な成功を目指すことではなくて、「自分より大切なもの」を作ること。つまり家族を作ることだとつくづく思います。早く結婚して、子供がほしい。

もう自分のためだけに使う時間はそんなにいりません。これが32歳バツイチの本音です。

間違いなく今年最高の映画「カメラを止めるな!」

話題の映画「カメラを止めるな!」を見てきました。

相当面白いです。文句なしに星5つです。私の映画ランキング、間違いなく今年一位です。

日本アカデミー賞取るでしょう。海外の賞も多く取ると思います。日本の生活習慣に根ざした人じゃないと共感できない内容という訳でもなく、アメリカ受けしないホラーという訳でもない、たけしの映画みたいに「周りの日本人は全員つまらないと言っている中、なんか知らんけど海外では評価される映画」という訳でもない。もうこれは世界中の誰がどうみてもよくできた映画としか言いようがない。普遍的な面白さを持っていると思います。


これほど面白い映画はそうそうないです。こんな映画がたった300万円で作られたということが驚き!!何億かけてもつまらないモノはつまらないのに、脚本と演出次第でこんなにも面白い話を人間が思いつくのか、ということにただただ関心させられる。久しぶりに感動しましたHuluもNetflixもAmazonPrimeも何を見てもつまんねーな、このまま面白いものを見ることなく死ぬのかなと思っていた中、素晴らしい作品を観せていただいて感謝です。

この作品にたずさわった人達はみんな幸せだろうなぁと羨ましい気持ちになりました。ちゃんちゃん。

恐怖の本『AI vs.教科書が読めない子どもたち』

様々なメディアで紹介されている本書。
衝撃の内容です。


なにが衝撃か…。

AIが劇的に進化して人間の仕事をどんどん奪っていくという予想が立てられたからではない。

AIの進歩が人間の知能を追い抜き、近いうちにロボット帝国が誕生してしまうからでもない。

人間が最も基本的な構文でさえ、全く意味を理解していない、ということが実験によって分かったからです。


本書で紹介されている実験は子供相手になされたものなので、今の子供だけが劇的に知能を下げただけだと思えばまだ気は楽ですが。本当に根本的な意味理解のところなので、近年から劇的に能力が下がるものとも思えないんですよ。ゲームとか、核家族とか、スマホとか、そういうことが影響するはるか以前の地平の話。普通の会話が成立する最低条件。本書によって、そもそも人間なんてみんな訳わかんないまま生きてるってことが白日の下にさらされてしまった。

「A=Bである。B=Cである。なのでA=Cである」くらい基本的な論理構成すら理解出来ていない。だから教科書読んでも分からない。言われたことを反射的に繰り返すことは出来るけども、自分で考えて応用することが出来ない。だって論理が分かんないんだから。因果関係もわからない。過去から将来を予想することも出来ない。なぜ今自分はこうなっていて、周りはこう言っていて、それをしなくてはならないかが分からない。



さらに厄介なことにその能力を改善する方法も現時点では判明していないらしい。


一方コンピューターとは意味を理解しないけれども、指示されたことを指示されたとおりに計算することはめっぽう得意です。実験で明らかになったのはコンピューターと人間は一番得意とするところでバチバチ競合しているという事実です。本来、コンピューターと差別化するためには「人間は意味を理解する」というところを強化しなくてはなりません。でもその方法論は見つかっていないらしい。それもそのはず。だってもし「意味を理解するとはこういうことだよ」って説明できることになったら、それはコンピューターにも出来るようになるってことだから。逆に言うと、コンピューターに出来ないってことは文章化して構造化して一般化できないってこと。だから他の人間に「意味を理解する方法」を教えることは人間には出来ない。それが出来たらコンピューターにも出来る。そうなったらまた人間とコンピューターが同じ領域で競合する。



AIが人間よりも賢くなるという形でシンギュラリティが来るのではなく、
人間は何も分からない生き物だということが判明する形で下方のシンギュラリティが起きそう。
そんな悲惨な未来が見えてくる恐ろしい本でした。

素直な日記

営業で地方を車で移動することが多いのですが、走っていると「なんでこの店が潰れないんだ」と思うことがよくあります。森の真ん中にある汚いクリーニング屋とか、ボロッボロの「〇〇箱製造所」とか、ド田舎の税理士事務所とか。看板に歴史を感じさせるのでおそらく老舗なのでしょう。創業して20年以上たっているのかもしれません。とすると20年は食いつないでいくことが出来たわけだ。


一方で私がやっている新規ビジネスは食っていくには程遠い惨状。1日500円の食費を出すのも不可能。だって大赤字なんだもん。会社の後ろ盾もあり、6人の優秀な人員をアサインしてもらい、資金繰りに困ることもない、こんな恵まれた状況の中でも成果を出せない自分が不甲斐なくて仕方がない。こんな片田舎の小さなお店でも利益を出せているのに、私は全く利益を出せない。田舎を走るたびにいつもそう思ってしまう。自分が最も能力のない人間のような気さえする。


昨日は有吉のダレトク!?という番組でCASHの光本社長が出演していた。事業はうまくいっていて、都内の超高級ワンルームに住んで、専用のバーで芸能人とパーティーを開いているらしい。


CASHは私の事業とほぼ同時期にリリースされました。かたやサービスを一時停止しなければならないほど大盛況。こっちは全く注目されないまま赤字を垂れ流している。光本が羨ましくて昨日は悶々としていました。


たしかにCASHのデザインは素晴らしい。サクサク動くし、使い方も簡単。ユーザーにとっては素晴らしいサービスだと思う。でも、それだけじゃ事業はうまくいかない。当たり前だけど買い取ったもの買い取った価格以上の価格で再販するというのが一番難しい。試しに私がCASHで現金化したものはメルカリで全く相手にされなかった昔のブランド服だった。メルカリで数百万人に直接アクセスして売れないものをなんでCASHが高値で売りさばくことが出来るんだろう。中古服屋みたいなホールセラーに纏め売りしたのでは、買いたたかれて逆ザヤになってしまうだろう。だからこのビジネスは実験的で面白いけれども、事業としてはうまくいかないと私は思った。でも。でも。うまくいっているらしい。事実としてうまくいっている。光本社長は良い暮らしして、高橋真麻と酒飲んだりしている。私は仲間から「どうやったら成功するか分からない、やる気がわかない」と責められている。辛たん。


光本社長が羨ましい。悔しい。うー。

玉置浩二のコンサートに行ってきました。

先日、KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018「THE GOLD RENAISSANCE」に行ってきました。

安全地帯のコンサートと合算すると玉置さんのコンサートに行くのは5回目か6回目くらい。相変わらずMCなしの歌一本勝負だったのですが、今回は史上最高に素晴らしかったです。3000人くらいのホールでオーケストラをバックにコーラスなしで歌います。時にはマイクを置いて地声で聴かせる場面もありましたが、それでも十分3000人に通る声量でした。


玉置浩二はバンドスタイルよりもオーケストラスタイルで歌うべき歌手だとさえ思いました。かつての玉置さんではバンドスタイルが最高の表現手法だったことは間違いない。でも、最近の玉置さんの歌は感情量が半端じゃない。これは聴いてもらわないと分かってもらえないと思うんだけど、そんじょそこらの歌声とはまるで別物なのだ。「行かないで」はメロディに乗せた言葉ではなくて、本当に行かないでほしいという想いがたまたまメロディになっていた、という表現の方が正しい。「たったひとつの愛見つけた」と玉置さんが歌ったからには本当にかけがえのない愛をそこに感じ取ることが出来る。こんな歌い手が他にいるだろうか。


そんな訳でバンドスタイルでは玉置さんのワンフレーズワンフレーズに込めた異常なまでの感情量がリズムに乗せられない。天才指揮者と50人のオーケストラが優しく下地を整えてくれるお陰で、玉置さんの異常なほどの感情量が観客に届けられる気がする。


ここまでの感情を表現するには、ここまでの感情を持っている人でなくてはならないと思う。そこまで人を愛せるか、そこまで愛を失って悲しめるか、そこまで愛を追い求められるか。玉置浩二の心の深さに私は驚愕を隠せない。


最高の表現者というのは最高の愛情を持ち合わせた人でなくてはならない。そこまで愛情を持てる人は間違いなく素晴らしい人間なのだと思う。私は玉置さんの才能と人格に脱帽し、嫉妬した。


でも、もしかするとそこまで深く人を愛すことができれば玉置さんの様に素晴らしい表現者になれるのかもしれない、という希望も見出せたような気がした。


芸術の深さは愛の深さだと知った夜でした。

屍人荘の殺人 今村昌弘

屍人荘の殺人

屍人荘の殺人

数々のミステリー関連の賞を総なめにしている本書。作者は新人らしいですが、とても新人とは思えない実力です。

荒々しい舞台設定、禍々しい殺人描写、奇想天外な登場人物たち、精巧に紡がれたトリック、主人公の探偵っぽい人が全く頼りにならないハチャメチャ展開、たしかに「このミステリーはすごい」と言いたくなります。

ただ〇〇〇を使った殺人トリックは小林泰三の「わざわざ〇〇〇を殺す人間なんていない」の方がひねりまくった方法が出ていたので、そこまでの驚きはありませんでした。登場人物のキャラが際立っていたので、おそらくシリーズ化すると思われます。次回作が楽しみです。

あと、映画化もありですね、こういう話は。登場人物が全員美少女なので、映像映えしそうですし。