モフモフになれたら

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『徴兵制度復活がありえない』なんてありえない

安保法案の是非はもっと国を挙げて議論すべき問題だと思います。本当に日本の行く末だけでなく、世界の行く末を変えてしまう大きな転換点だと私は思います。こんな時に新国立競技場の見直しについてのニュースなんてやってる場合じゃないですよ。どういう内容の法案で、どんな背景で提案されて、これが決議されたらどんな未来が待っているのか、何時間も何日もかけて国を挙げて吟味しないと、なぁなぁのまま取り返しのつかない自体になってしまいますよ。

おそらく賛成派の人は、この法案が決議された後に待っている未来像を非常に楽観的に描いているような気がします。”集団的自衛権を行使できるとしても、実際に行使する場面はこないだろう”、”行使したとしても、自分の生活には支障はないだろう、でも日本が国際的に感謝されるんだから鼻高々だ”、という考えなんじゃないですか。はっきり申しますが、決議された以上、行使します。絶対に。だって行使しないなら、この法案を通す意味がないもの。行使する意思があって、シナリオを描いているからこの法案が出されたのです。

賛成派の想像力がもっとも足りないと感じる場面は、”徴兵制復活”の議論になった時です。彼らは集団的自衛権の行使が日本の平和維持に資すると考えているのに『徴兵制』はそうではないと主張するのです。落ち着いて考えてみて欲しい、集団的自衛権の行使を容認すべきという理路は、そのまま徴兵制を導入すべきという理路に持ち込めます。

彼らが徴兵制度復活がありえないと主張する根拠は二つあります。それは「徴兵制度が憲法違反であること」と「近代戦争は合理化ハイテク化が進んだため素人の出る幕はない」ということ。ひとつづつ考えていきます。

徴兵制度は憲法違反なのか

まず、徴兵制度は憲法違反であるという根拠について。徴兵制は体拘束の禁止を謳う18条や職業選択の自由を定める21条1項、に違反するため導入できないと説明する人がいる。でも、そんなの解釈次第でいくらでもすり抜けられるのです。だって、集団的自衛権の行使だって憲法9条違反という解釈だったじゃないですか。今回だって解釈の変更というもっとも安易な手続きだけで180度方向転換したんだから、憲法によって徴兵制の導入を制限することは出来ないと考えるのが妥当でしょう。もはや憲法に政府を制御する機能はない。今回の法案成立によって、立憲主義は否定されたのだから。

徴兵制度は非合理的なのか

もう一つの拠り所は合理性の話。現代の軍隊はハイテク化されており、素人を二三年訓練したところで使い物にならない、というのが彼らの説明です。確かに二三年で自衛隊のプロフェッショナルと同じ技量に到達するのは到底不可能だろうと思います。でも、戦争に必要な兵士の役割はそれだけでない。どんなに兵器の機械化、ハイテク化が進もうと、戦争には必ず人間による戦場管理が必要になる。全ての戦争は自国にとって自衛の戦争であり、平和維持のための戦争である。ただ憎き敵国を殲滅するためだけに行われる戦争はない。(あのヒトラーでさえそう考えていたのだ)だから、終戦宣言した後の戦場での共同体創造事業が絶対必要になる。日本が集団的自衛権を行使し積極的に対外戦争に加担するということは、殲滅後の立国支援を積極的に行うということだ。たとえ、核を使ってその国を殲滅したとしても、その後焼け野原をそのまま永久に放置しておくわけにはいかない。殲滅の後には、生き残った人たちと彼らと一戦交えた人たちと一緒に新たな国家を創り上げるというもっとも過酷な仕事が待っている。破壊はいくらでもハイテク化出来る。ボタン一つで細かい標的を確実に殲滅する機械を多量に低コストで製造する技術はいくらでも進歩するだろう。でも、焼け野原から、絶望に沈んだ人間たちと共に新たな共同体を創り上げるノウハウは絶対にハイテク化しえない。そこに汗水垂らして人々のインフラを整えたり、情理を尽くして平和立国の志士達をまとめ上げる人間が必要になる。新たな共同体創造のためには、殲滅するために要した何十倍、何百倍ものリソースが必要になる。人間、金、もの、時間、全ての必要なリソースは殲滅する時よりもはるかに要するのは容易く想像出来る。そこで今の自衛隊の人数で足りるのか、という議論になる。全く戦争をしない想定で組織された自衛隊の人数で、積極的な平和維持活動、立国支援が出来るのかという問題が湧き上がる。積極的になればなるほど自衛隊のリソースは足りなくなる。平和維持活動、立国支援のためには、いくらいてもいすぎることはないくらいリソースは必要なのだから。

徴兵制度はあり得る

以上のことから、憲法と合理性の観点からの徴兵制ありえない論は説得力を持っていない。他に徴兵制が導入されえないという根拠があれば教えてほしい。導入されるべきと言ってるわけでは決してない。当然の帰結として導入されるとしか考えられないと申しているのです。安倍首相は『我が国を取り巻く安全保障環境はますます厳しさを増しております。』という漠然とした(根拠のない)根拠によって憲法解釈を変更してしまった。同じように、『とりまく環境が変化したから』という説明で徴兵制も簡単に始められる、と私は思う。

安保法案を賛成するということは、”徴兵制度復活”にも同意署名するということであり、”立憲主義を放棄しましょう”という悪魔の契約書にサインをすることなのです。