モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

僕は愛を証明しようと思う/藤沢数希

 

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

 

 

すごい本です。ひどい本です。でもすごく面白い本です。久しぶりに一気読みできる本に出会いました。独身の時にこの本と出会ってたら生き方変えてただろうか・・・いや変わってないかな。

金融日記で有名な藤沢数希の恋愛工学を扱った小説です。恋愛工学とは何ぞや、という人はググってください。ググればいろんなサイトで紹介されておりますので、ここで多くは語りませんが、一言でいうと”セックスという成果を効率的に大量に手にするためのスキル”のことです。最初の舞台は北品川天王洲アイルのお洒落なポートサイドレストラン。私も春まではその辺に住んでおり、まさに休日はそこでパンを食べたり、夜はジョギングしたりしておりました。T.Y HARBORの一角ですね。とても良いところなので、付き合う前のデートにどうぞ。夜は店に入ったことないんですけど。

さて、恋愛工学の話に戻ります。恋愛工学の主眼はひとりの女に執着しないで(執着することを非モテコミットと言うらしい)、試行回数を増やし、より効率的にセックスできる関係に持ち込むことなので、一部の人たち(というかほとんどの女性と一部の男)から非常に評判が悪い。恋愛工学は藤沢数希を教祖とした宗教であるという批判が盛り上がったこともあります。

かくいう私も恋愛工学の繁栄には与しない。100歩譲って藤沢数希の言う、ラポールの形成、タイムコンストレインメソッド、スタティスティカルアービトラージ戦略が”効率的なセフレ作り”に効果的であるというのは、”真実”なのかもしれない。その通りにやって、いろんな女性と関係を持つことができ、”素晴らしい人生になった”と思っている男性たちが大勢いるのかもしれない。

羨ましい人生だ。しかし、しかしだ!これは科学だから正しいだの、工学だから発展すべきだの、言うべき話ではないと私は思うのです。藤沢数希の唱える恋愛工学が宗教なのじゃなくて、我々一般人が知らず知らずに取っている行動="非モテコミット" ="恋愛幻想"こそが宗教なんですよ。

永遠に続く恋愛なんてない、もっとかっこいい人が現れれば乗り換えるかもしれない、消去法で選ばれただけかもしれない、自分の子の気持ちも明日どうなるかわからない。そんなことは分かっているのだ。私の尊敬するアーティストたちもいろんなところでこう歌っている。

大切に抱きしめてた宝物がある日急に偽物と明かされても世界中に刷り込まれている嘘を信じていく
『フェイク』 Mr.Children

どうして永遠の愛だと思うの そして気がついたなら涙がこぼれるでしょう
『ニセモノ』 玉置浩二

そして女たちは愛という名の下に俺を上と下に引き裂いた だけど今でも信じている 心の全てを奪い去るような 真実の愛
『家路』 浜田省吾

愛する人を愛したいだけ愛せる日まで愛してみる もしも鏡に悲しい二人が映っても うかんでも
『鏡に映したふたりでも』 CHAGE&ASKA

それでも信じてる、から恋愛は”宗教”なのだ。藤沢数希の恋愛工学は、街に溢れる非効率的な恋愛を解体し、分析し、新たな視点を提示したように見せながら、実はやっていることは非常に野暮な行為だ。映画をみながら「この人たちは演じているんだよ、本当はこの女優、別の男と結婚してるぜ」と言うようなもんだ。絵画をみながら「紙の上に塗料が塗られて光が反射しているだけだろ」と感想を述べるようなものだ。音楽を聴きながら「ただの空気の振動があるパターンで繰り返されているだけだ」と強がるようなものだ。「女はモテる男にモテたいだけ?」「人間は結局動物なんだからいかに効率的に遺伝子を残していくかを考える?」いやいやいや、んなことは誰でも分かってるんだ!!!

でも、みんな信じてるのだ。この人と一緒に生きるために私は生まれたのだと。真実の愛さえあれば、幸せに生きられるのだと。この恋だけは他と違うと。この信憑が崩れたら、きっと世の中壊れちゃう。効率的にセックスに持ち込む男女だけがはびこる世界なんて想像しただけでぞっとする。夢見る”非モテコミット”達をたたき起こすのは、お願いだからやめてほしい。彼らは恋愛という至高体験を楽しみたいだけなのだから。その至高体験がないと、芸術も音楽も文学も生まれない。セックスだけでも経済は回るけど、幻想がないと芸術は生まれない。(この小説が成り立っているのも恋愛工学に対する”非モテコミット”があるからだ)

若い頃、いろんな人と関係を持っていたいという欲望はきっと男なら誰でもあって、”恋愛幻想”から解き放たれた俺かっけーって思いたい人は、ぜひ恋愛工学を活用してみると良いと思います。でも、その先には何もないよ。まぁ恋愛が成就した先にも何もないんだけどね・・・。