モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

サラリーマンの死んだ眼問題の件

 一週間くらい出遅れている感がありますが、サラリーマン死に目問題というのがはてな界隈で話題らしいです。

yuma1102eff.hatenablog.com

 

就職を控えた大学4年生の若者に対して、大人たちが反論しています。

「通勤電車が辛いんだ」「大人はONとOFFを切り替えるんや」「大学生だって死んだ目をしたやつはいるだろ」などなど。

 

このお話は非常に興味深い。なぜなら私も学生時代は「こんな大人にはなりたくねー」と声高らかに叫んでいたタイプだったからです。

 

あいつはいっていたーねー、サーラリーマンにはなりたかねー、朝夕のラッシュアワー酒浸りの中年たち

 

と歌っていたのは尾崎豊でしたね。(引用は「Bow!」)

 

就職したメーカーでの新人研修の時、全国の工場を回った時の衝撃を今でも覚えています。だるだるのスウェット・ボサボサの頭で出勤してくるオッサン達。新人達のおはようの挨拶も華麗にスルーしていきます。勤務時間中もかったるそうに歩きながら死んだ眼で作業をしていました。

 

現場だけではありません。工場に勤務している総務・経理・管理系の方々もことごどく覇気がないように見えました。その光景を見て、工場にいるとこうなるな、俺は営業にいこう、と決心したのです。

 

そしては今では私も社会人7年目!もう立派なオッサンです。いや立派じゃないオッサンです。

 

果たして私の眼は死んでいるのだろうか。覇王系の覇気を吐きまくっているでしょうか・・・いや、たぶん死んでいると思う。覇気もない。学生だった頃のあのキラキラ感はもうない。

 

でも、それはサラリーマンだからでも、仕事が辛いからでもないのです。純粋に身体的な変化のような気がするのです。

 

工場の工員だって、今の仕事が好きで好きで仕方がない人が沢山いました。幸せな家庭に恵まれている人も沢山いました。でも覇気がなく眼が死んでいたのです。

 

このことが意味しているのは「眼が死ぬ」という問題が、「生き方や暮らしぶり」が原因で発生しているのではなく、単に「加齢」による変化なんだということです。

 

身長が止まるように、記憶力が落ちるように、長く走れなくなるように、近いものが見えなくなるように、腰が曲がっていくように、人の眼は輝きを無くしていく。

 

それを絶望的に思うことは何もない。身長が止まっても毎日楽しいでしょう。老眼になってもいいじゃない。同じように眼が輝いていなくても何の問題もないのです。

 

ただ一つ問題があるとすれば、眼が輝いていないと異性にモテないという点。モテようとするには眼がギラギラしていないといけない。でも結婚しちゃうとギラギラを続けると余計な問題が起きてしまいます。その辺は川谷絵音さんが詳しいと思うので聞いてみましょう。

 

我々オッサンでも、やろうと思えばギラギラできます。

 

嘘だと思うなら、週末キャバクラに行ってみてください。そこでキャバクラ嬢を一生懸命口説いているオッサン達の眼のギラギラは意識高い系の大学生が自分の理想の未来を語る時のそれです。動物園の飼育員が餌をあげにやってきた時のオランウータンのそれです。

 

安心してください。世にキャバクラがある限り(と言うか、頑張ればヤらせてくれそうな感じのキャバ嬢がいる限り)、眼の輝きは消えません。