モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

子育て論から幸福論まで『好きなようにしてください』 続き

本当に面白い本です。内田樹先生の「疲れすぎて眠れる夜のために」以来の衝撃です。

まだまだ紹介したい言葉が沢山あります。

P106 自分の中の「機が熟した感」、これがキャリアについての意思決定にとってとても大切だというのが僕の見解です。

よく直属の先輩から「お前は何がしたいんだ。自分が部長になったら部をどうやって動かしていくのか考えて日々を過ごしているのか」と凄まれることがありました。当時の私は「そんなの知らんがな。特にやりたいことなんてないんだから、目の前のことを粛々とやるしかねーわ」と思いながらも「うう、そーですねー、色々と考えてはいるんですけどねぇ」とか言ってはぐらかしていました。その度に、残念そうな顔を浮かべる先輩。なんだか釈然としない私。

「自分のやりたいことを達成すること」で生きがいを感じる人もいれば、「チームで仕事をするそのこと自体」に生きがいを感じる人もいるし、「仕事は生活の手段でしかない」と考える人がいても良いと私は思うのです。全員が「それぞれのゴール」に向かって一心不乱に邁進すべし、とは全然思えないのです。

ただし、最近は「仕事上でやりたいこと」がはっきりしていて、それをやっている時はとても活き活きしているのがわかります。今の会社でこんなことをやって、こんな成果を出したい、という具体的な思いがようやく生まれました。8年目にして・・・。「機が熟した感」という、言葉がしっくりきたのはこのためです。まぁ、本当は間違っているかもしれませんが、こんなもの思い込みしかないですからね。その辺の話もところどころに触れてありますので、詳しくは本書をご覧ください。

P117 結局人間なんて、だいたいみんな同じように毎日の現実の仕事をして、何とか世の中と折り合いをつけているものです。「リスクをとる」とか「大胆なマーケティング」とか、ふわふわした言葉を口にするよりも、今のクライアントにとって、より頼りにされて喜んでもらえる存在になるに越したことはありません。

この言葉を聞いて、前の会社での出来事を思い出しました。

私のいた部署は世界中からデータが集まってくるところで、外向きにはビッグデータを用いた市場予測をする精鋭集団、ということだったのですが、実際には毎日違うフォーマットで集まってくるデータをエクセルにまとめて、上に報告するだけの仕事でした。そのデータから何かを読み取ることもできず、ただ淡々とやっていました。(ビッグデータ分析なんて素人ができるものじゃない、まじで)

そんな時、広報の方とランチをする機会があり、その方が言いました。「広報というからテレビとか雑誌とかにどうやってPRしていくかを考える部署だと思って応募したのに、実際には毎日くるお客さんの会社案内ですよ。そちらの部署は良いですね。私もデータ分析とか市場予測とか憧れちゃいます!かっこいいなぁ」。

現実と理想のギャップはどこにでもあるものだなぁと実感しました。「やってらんねぇ」と腐る前に、少しでも意味のあるデータを掬い出すこと、来社されたお客さんに満足してもらうこと、に注力すべきなんですよね。わかっているけど、なかなかね・・・。

P157 自分以外の誰か(価値の受けて=お客)のためにやるのが仕事。自分のためにやる自分を向いた活動はすべて「趣味」。趣味は家でやるべき。仕事と混同してはならない。

この箇所は楠木先生の仕事観の根幹をなす部分なのですが、私には少し違和感があります。原理的に言うと、自分のためにやっていない仕事も、他者に向いていない趣味もない、と思うからです。例えば被災地に行って瓦礫撤去の手伝いをするのは、自分以外の誰かを向いていますが、「自分がやりたいから」やっていること、という意味では趣味的でもあります。(楠木先生も「誰にも頼まれていないんだよ」の原則を提唱しています)

一方、趣味。楽器演奏でも、フットサルでも良いですが、徹頭徹尾自分しか向いていない趣味なんてありません。絶対に。絶対に「趣味」を通じて他者に語りかけたい、近づきたいという欲望が駆動しています。音楽を通して感動を共有したい、もしくは人との感動を音楽に託したい。フットサルでチームプレーの楽しさを味わいたい。勝つ喜びを分かち合いたいという欲望があります。映画鑑賞や美術館巡り、散歩でさえ、「他者の顔」を想定しながら味わっています。もっと言うと人間のすべての行動は「他者」がいないと成り立たない。(映画も美術もそこには作り手がいるし、感想を共有したくなる。散歩だってすれ違う人、子供の遊び声含めてのエンターテインメントだ)そこに他者がいる限り、絶対に他者は想定されているし、趣味を通して他者に影響を及ぼしています。

とすると、仕事と趣味の違いは「他者に与える影響の程度」の差ということになります。でも、そこの線引きはいつだって恣意的になるので、それこそ「好きなようにしてください」としか言いようがない。私は仕事と趣味という定義分けにはあまり意味がないと思う。

P164 質量ともに一定水準以上の「努力」を継続できるとすれば、その条件はただ一つ、「本人がそれを努力だとは思っていない」、これしかないというのが僕の結論でありまして、これを私的専門用語で無努力主義と言っています。

最近、このロジックをいたるところで見かけるようになりましたね。一流になるには続けるしかない。続けるには「自然にやっていること」「やらなくてはいられないこと」をやるしかない。好きこそ物の上手なれの語源ですね。水木しげる先生もよく仰っていたなぁ。

P187 人生で本当に憂うべきは、マクロにおいては戦争、ミクロにおいては疾病、この二つだけだというのが僕の考えです。

ん?誰かの考えに似ている気がする・・・。内田先生のリスクとデンジャーの違いのお話に通じる??

P281 インターネットのように極限的に参入障壁が低い世界では、ネットで「話題になり」「絡みも増えて」「人脈をつくる」ということと、それをビジネスにするということの間には、近いように見えて、ハバロフスクノヴォシビルスクぐらいの距離があります。

楠木先生は最近の事情をご存知ないかもしれませんが、「話題」と「ビジネス」はGoogleアドセンスなどのアフィリエイトのお陰で「東京」と「大手町」くらい近くなりました。関西でいうと「大阪」と「梅田」です。アクセスさえ稼げれば、コンテンツからっぽでも稼げる時代です。本当、革命的ですよね、この仕組み。でも、今がバブルなだけだっていう説もありますが・・・。

P346 僕が言う「幼児性」の中身には以下の三つがあります。一つ目は世の中に対する基本的な認識というか構えの問題です。身の回りのことごとが全て自分の思い通りになるものだという前提で生きている人を「子ども」と言います。中略、本来は個々人の「好き嫌い」の問題を手前勝手に「良し悪し」にすり替えてわぁわぁ言う。これが幼児性の二つ目です。中略、幼児性の三つ目は他人のことに関心を持ちすぎるということです。

本物の大人による”大人論”!シビれます。ここの議論は内田樹先生やアドラー先生の議論とも繋がります。本物の知性を備えた大人は同じ結論に至るのですね。

P353 「やってもやっても終わらない」というけれど、本当にそんなに「仕事」があるのかどうか。ノー残業が導入されたのを機会に、一度徹底的にチェックしてみることをおすすめします。お客さんが求めていない趣味の作業に力を入れていたり、誰も頼んでいないことに血筋をあげているだけなのかもしれません。

もうホンコレ。めっちゃそう。今年のGWは月曜日と金曜日に有給をとって10連休にしました。別に長期旅行に行きたい訳でも、仕事が嫌な訳でもありません。でも中堅の私が休みを取らないと、後輩は休みにくいだろう、と思い「きちんと休めるように働いたら、休めるんだよ」ということを示したかったのです。人間に与えられている時間は仕事だろうが休日だろうが1日24時間です。その時間の過ごし方が、人生です。たまには仕事以外のことに知力と体力をフルスロットルで注ぎ込んだ方が心身共にリフレッシュするし、新しい考え方も生まれ、新しい出会いに恵まれたりして、良い人生になると私は思う。だから、休みは頑張ってでも取るべき。

でも、私とは真逆の考えの先輩がいるので、結局後輩は休めません。「私が働くのに、なんであんたが休むのよ」と本気で怒る人がいるのです。でもGWに休めるように調整できない仕事なんて、何かトラブルがない限り、この世にないと私は思う。GW前に不安材料を全て取り除いておけば良い。問題が起きたら自分に電話が来るようにしておけば良い。そうすれば休めるんだけど、ワードの空白を何ミリにするとか、エクセルの罫線の太さをどれにするとか、そんなことばかりに時間をかけているから一生休めない。そこは答えの出ない世界だから、いくら時間をかけてもかけすぎることはない。でも、本当に大事なことか見極めないと、人生の大事なことを見失っちゃうんじゃないの。この本をその先輩に上程しようと思います。

P370 結局人間が最終的に到達したい先が「幸せ」であるのに変わりがありません。中略、幸せは客観的には定義できません。全ての幸福は個別的・主観的なものです。中略、しかし、僕に言わせれば、あなたや僕のような大多数のフツーの人にとってそれは幸せではなく、タバコとかネットサーフィンとか二度寝とかゲームとか⚪️⚪️などなどをしているほうが割と幸せなのです。中略、あなたは、朝早く起きて、筋トレのあとに座禅、リラックスしたところでハーブティー。読書して仕事、ガンガン働く。早く帰宅して子供と大いに遊び、家族との時間を大事にする・・・。という幸せ像を描いています。僕は声を大にして聞きたい。「これが本当にあなたにとっての幸せですか」と。もしそれが本当に幸せだったら、とっくにそうしているはずです。

ぐぅの音も出ません。人は幸せを求め続けて生きています。意識的にも無意識的にも。だから、あなたがとっていうその行動があなたにとっての幸せなんやで。


キャリアの相談から、「結婚論」「子育て論」「幸福論」まで敷衍して応えてくださる最高の本です。良い本に出会えてよかった。長くなりましたが紹介終わります。まだまだ良い言葉がたくさん綴られていますので、ぜひ読んでください。