モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

スタープレイヤー/恒川光太郎

恒川光太郎の新ファンタジーシリーズ。10の願いを叶える事が出来る世界で生きる事になった人間の喜びと苦悩を描いた良作です。久々に一気読みでした。

いつもの恒川光太郎は日常世界の中に神話的世界の一部を開かせる物語が多かったように思います。本作は逆に、神話的な世界感の中に日常世界の不条理が挿入されていきます。エンターテイメントとして非常に面白いのですが、台詞回しや、主人公の思考も深淵な部分があり、少し考えさせられてしまいました。

何でもできる主人公が決断を迫られる場面。

やらなくちゃ。何でもできる。何でもできる。できないということは、心地の良い眠りに近い、何もかも諦めて良い。できないのだから。仕方ないは魔法の言葉。それに比べて、できるということのなんと過酷なことか。できる人間には責任がある。できる人間はやらなくてはならない。

もし自分が何でもできるとしたら。何をするだろう。その能力をどうやって使うだろう。世のため人のために使うだろうか。私利私欲のために使うだろうか。

大きな豪邸と高級車と絶世の美女に囲まれた生活を望んだとしても、空しい気がする。そんなもの求めてもいない。名声と権力を手にしたいと思うだろうか。でも自分の力で得たものでないと、何の意味もない気がしてくる。

人のために使ったらどうだろう?でも、世のため人のためというのも結局は他人の私欲なのではないだろうか。彼らに金銭や物品を与えても、一瞬は嬉しいかもしれないけど、やはり空しいんじゃないかしら。それでも自分だけで独占するよりは、喜びを他人と分かち合った方が幾分かマシだろうか。

自分たちで世界を切り開いていける力と知性が欲しい、と言ったらどうだろう。でもその能力も結局は与えられたもので、結局はあやつり人形なんじゃないんじゃないの? っていうか今ここに私が存在するのも自分の知らない力が働いた結果な訳で・・・となって、自分が何に満足するのかも分からなくなってきました。

何でも願いが叶う世界とは恐ろしいですね。