ヴィーナスの命題
学園ミステリー。
僕の敬愛する綾辻行人先生が「まぎれもない傑作」と評していらしたので読んでみた。
リーダビリティに難があるとも書いてあったがこれを買う時はリーダビリティの意味がわからなかったので気にならなかった。
(リーダビリティという言葉を使う論評にもリーダビリティに問題があったのだ)
最初は、夏の教室のけだるい感じ、ふわっとした会話、指示代名詞ばかりの言葉の世界に少し浸ることができた。
だが、だんだん腹が立ってきた。
本当に分かりづらい。
誰のセリフなのかも分からない。
何の会話をしているのかが分からない。
そんなシーンが延々続く。
登場人物が意味不明な行動をとった、その理由をわけのわからない言葉で、誰が発しているのかわからない言葉で語られる。
だから、本当に訳が分からない。
参った。
読むのが辛かった。ごめんなさい。
じっくり読めばわかるものなのだろうか。いやだ、僕は娯楽小説くらいサクサク読み進めたいのだ。
だから、2度読む、とかしたくないのだ。
しかし、この小説は2度目の体験を読者に要求する。
2度目を読みたくなるのは、面白過ぎるからではない。
そうしないと、読んだことにならないからだ。
なんでこんなことになるのか、少し考えた。
ちょっと分かった。
普通の小説は
①登場人物がどんな人間か読者に明かされる
②それぞれの関係性もだんだん明かされる
③事件が起こる
④それぞれの経験や関係性から深い謎に踏み込み解決
っていうプロセスを踏む。
まあ、普通っていうか、論理的に進めるとこうなるって感じ。
でも『ヴィーナスの命題』は
③→④→①→②
っていう順番なのだ。
①と②が最後の最後だから、事件を解決するプロセスに全く読者がついていけないのだ。
なぜこいつがこんなことを言うのか、なぜこの人とこの人はこんなことをしているのか、が全く分からない。
「あの時のあれが原因なんじゃないか」
「ああ、あの人は、それ以前もああだったからな」
みたいな会話が勝手に進んでいくのだ。
読者は「あれってなんだよ」ってか「お前らなんでそんなこと知ってんだよ」と頭が?一色になる。
だから、2度目を読まなくてはならない。
つまり
③→④→①→②→③→④
という読み方になる。
→がなければ読んだことにならない、そういうことだ。
でも、登場人物のことを何も知らされないまま、読者を事件に放り込む手法は『ひぐらしのなく頃に』と同じと言えるかもしれない。
10年前の作品だから、魁と言えば、そうなる。
その意味では傑作なのかも・・・。
この本の価値は①→②→③→④という単調な論理を組み替えた点にある、と思った。
オススメはしない。