モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

インド旅行紀4日目

目を覚ます。朝の空気は昨日の熱波が嘘のように清々しい。 喉は相変わらず痛いが熱は大分ひいた気がした。正常というまでにはいたらないけれども、微熱、くらいだろうか。なんとか気力だけで今日のロングジャーニーを乗り越えねば。 今日はジャイプールからジョードプルへ。 車に乗り込み、ひたすら走る。 とちゅうで、朝ごはんに、お土産や兼、日用品屋のようなところによった。ドライバーは、奥のほうで朝食をとっていたが、僕は朝ごはんを食べる元気もなかったので、オレンジジュースとチョコバーだけを買った。 缶ジュースと小さなチョコだけだから、相場では50ルピーくらいかと思ったら、170ルピーと言う。ここで値下げ交渉をする元気もない、たかが250円くらいだ。日本で買ったと思えば良い。 おなじラジャスターン州であり、名前もそっくりな二つの町だが、距離にしておよそ330キロ。日本の高速を使えば、3時間。ドイツのアウトバーンなら1時間半もあればつくかもしれないほどの距離だが、インドの道ではそうはいかない。 昨日と同じように西へ西へ向かう。午前中は車内も比較的涼しいが、午後は太陽が真南から照りつける苦行の旅に姿を変える。 途中、小さな町の銀行に寄った。どうやら、旅で建て替えるお金を引き出すようだ。すぐ帰ると言いながら、なかなかドライバーが戻ってこないので、銀行の周りをぶらぶらしていると、警備員のおじいさんが声をかけてくる。 完全に現地語である。さすがにラジャスターンの田舎町のおじいさんが英語を使うことはなかった。言葉も通じずニコニコしていると、小さな子供が寄ってくる。子犬のような目で、恐れと興味が入り混じった表情をしている。こんにちはと言いながら写真を撮ると、笑顔になって、駈け出して行き、友達を連れてきた。 そうこうしていると、銀行の隣の農機具屋のおっさんが「いいから店に入れ」と声をかけてき、おっさんとおっさんの父親、息子、の3世代とおしゃべりをすることになったりした。交わされる会話は、他愛もないものだ。どこからきた、日本のどこだ、恋人はいるか、インドは好きか、と片言の英語でも会話はつきることがない。 カメラをぶら下げていると写真をねだられる。そして、その写真を送ってくれという。メールアドレスを聞き、その写真をメールすると約束し、店を出た。すると、どこで噂を聞きつけたか、10代半ばくらいのやんちゃな盛りの少年が写真をとってくれとおめかししてやってきた。すでにドライバーは車で待ちくたびれていたため、笑顔でシャッターを切り、すぐにその町を後にした。 インドに魅了される人は、こういう人々の交流に心を癒されるからかもしれないな、と思いながら、田舎道を走る。 旅は人生のようだ、と言う。道中に読んでいた沢木耕太郎が言うには、「旅には幼年期、青年期、壮年期、老年期がある」らしい。観るもの聞くものすべてが新鮮で心躍る体験に満ち溢れている幼年期と青年期。僕は初めての海外、アメリカ、サンタバーバラへ一ヶ月間語学留学へ言った時、自分の英語を聞いて、言葉を返してくれるその体験だけで感激するほど楽しかった。異国人と異国の言葉で言葉を交わす、ただそれだけで旅を楽しむことができた。どこからきたのか、趣味は何なのか、将来の夢はなにか、そんなお喋りだけで旅の目的は果たされていた。 だが、ほんの数カ国だが、毎年のように海外旅行をし、世界遺産を見学し、言葉を交わしていくうちに、感動の耐性ができてしまった。もう表面的な会話に胸を躍るほどの感動を覚えることもないし、歴史的建造物に見えるドラマに身を震わすこともなくなっていた。旅が変わったのではなく、僕自身が変わった。性格は頑固になるばかりだが、英語力は低下していくから、表層的な会話から中にはいることができない。自分自身を語ることもないし、相手に語らせることができない。心の交流を求めているのに、それを実践する力がないのだった。 もっと、英語を勉強しなきゃ、自分の求めている青年期壮年期の旅は実現しそうにない・・・・。 そんなことを考えて、およそ8時間のロングジャーニー。 ジョードプルについたら、もう夜だった。 その日はドライバー、アミットとの最後の夜だったので、ささやかな飲み会を開いた。 二人で瓶ビール2本だけあけた、ささやかな宴。 一緒にインド映画を鑑賞し、就寝。