モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

ぜんぶフィデルのせい

またフランス映画。

時は1970年代、冷戦真っ直中で、世界中で共産主義運動が活発に行われていた時代。全然知らなかったのですが特に中南米で盛んだった時代らしい。9歳のアンナはカトリック系のミッションスクールに通い、庭にブランコのある豪奢な一戸建てに住んでいます。フリフリの衣装を纏いながらバカンスはボルドーで過ごす、まさに正真正銘のお嬢様。弟のフランソワ(5歳くらい?)にも子供部屋が割り当てられ、習い事のプールの後にはお手伝いさんが髪を梳かしてくれます。

そんなアンナのお父さんはスペイン出身の弁護士、お母さんは月刊誌「マリクレール」の編集者。ところがあるきっかけでお父さんがキョーサン主義に目覚め、裕福な家庭は一気に一般的な水準に下げられてしまいます。どれもこれも「ぜんぶフィデルカストロ)のせい」というのが物語の始まりです。

貧しい食事や狭いお家に不平不満を漏らすアンナ、とっても可愛い子役なのですが99%は仏頂面です。逆にそれが彼女の魅力となっている一方、時々見せる笑顔もまた素晴らしい。キョーサン主義に突き進む両親、宗教の授業に出られない学校、果たしてアンナと家族はどうなっちゃうのでしょうか、というお話。

以下、ネタバレと感想です。

物語は終始、少女アンナの目線から大人の不可解な行動や思想が描かれ、大人がどれだけ適当で、勝手で、間違いばかりなのかを思い知らされます。彼女なりに素直な疑問をぶつけ、信念を構築していく様は微笑ましく頼もしい。彼女の直球の質問に大人達はたじろぐしかありません。団結すれば物事は解決すると教えられたアンナが間違っていると知りながらも人と同じ行動を取ったら、先生に訂正されてしまった時の台詞。”お父さんは団結と人まねを間違えないの?”。この両親のキョーサン主義が端から見ても非常に表面的で、自己完結的なもの、なのでこの言葉は突き刺さります。結局お父さんは何がしたいの?きっとお父さんもそれが分からなくてもがいている。

チューゼツを認める運動を続けながらカトリックのミッションスクールに通わせる母。スペインの貴族出身にもかからず中南米のキョーサン主義活動に傾倒する父。ギリシャ神話の地球の創世記を語るお手伝いさん1、ベトナム神話を語るお手伝いさん2。カク戦争を起こそうとしたキューバを指示するヒッピー達。電気代、ガス代を節約しながらお手伝いさんを雇い続ける家庭。熱心に罪と許しについて語る先生、性について何も語らない学校。逃げるために足を噛み切った現実の羊、逃げた事で罰せられた聖書の中の羊。

そう、子供から観た世界はこんなにも矛盾だらけなのだ。大人に言われた通りに振る舞ったら、また別の大人に怒られる。方向転換してみたら、また別の壁にぶつかる。そんな八方ふさがりの世界で、アンナがたどり着いた答えとはなんだったのか!?

たぶんそれは、自らの答えに留保をつける事。一つの答えに執着せず、ニュートラルでいる時に、人間の悟性の壁は取り払われ、能力は最大限に駆動する。こうやって子供は本当の知性を身につけていく。子供達は気づいている。大人達も答えを導き出せずに迷いながら歩いていることを。

あの仏頂面で世の中に蔓延るあらゆる矛盾を見つめながら、それでも失望する事なくアンナは大事な人と手を取り合う。失意に沈む父と、新たな世界で出来た友と。

相違する隣人の意見に耳を傾けながら、自らの結論を留保する。それでも大切な人と手を取り合いながら生きていく。それだけだと私は思う。生きていくために必要な能力は、もうそれだけで充分だ。本当はそれが一番難しいのだけれど。

アンナは最初から素直で真剣で優しい子でしたが、彼女の成長ぶりを観ていると、観ている方も勇気が湧いてきます、彼女はもう「ぜんぶフィデルのせい」なんて言いません。大切なことはしっかり学んだからね。社会派ながらコミカルで、映像や音楽も綺麗、世界の矛盾と輝きを未来志向で想像させるとても素敵な映画でした。大好きです。