モフモフになれたら

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ウケる技術

ウケる技術 (新潮文庫)

ウケる技術 (新潮文庫)

コミュニケーションの教科書を銘打っていますが、これを読んでもウケる人にはなりません。ただ、読み物としては非常に面白いので誰にでもオススメ出来る本です。

ウケる技術をカテゴライズして分析していくのですが、この本のやりくちはちょっとズルいのです。こういう技術があって、こうすると面白い、という風に紹介していますが、本当は逆なのです。まず面白いことがいくつかあった。それを後から無理やりカテゴライズしているのがこの本。

「こうやると面白いからこんな場面でつかっていけ」という。これでコミュニケーションがうまく行くという。いわば演繹の手法。二次関数の解の公式を問題に当てはめていく、これが演繹法

でも実際にこの本が書かれたのは帰納法。俯瞰とかディテール化とかそんな手法が先にあったわけではないでしょう。ここでいきなりこんなこといったら面白かった、という経験がまずある。それを後から裏切りとかキャラ変とかにカテゴライズしている。いろいろな二次関数を解いてみたら、幾つか場合分けして使える解の公式が見つかった、これが帰納法

でも、コミュニケーションは二次関数でないので、ここでこうやれば正解というのはありません。演繹法は使えないのです。解の公式なんて存在しないの。僕らに出来ることはカテゴライズして公式っぽい風にまとめることのみ。だからこの本は面白いの。実際には使えない公式だけ乗っているんだから。まぁ、みんな分かってんだけどね。


たしかにこの本に出ている例文は面白い。最高。コミュニケーションの手法としては。

でも、最近私が気になるのは手法や所作ではなくて、内容の方。つまんねー話をする奴が本当に嫌い。仕事がらいろいろな人と会食にいく機会が多いんですけど、面白い話かどうかって、「どこかで聞いたことがある」かどうかにかかってるような気がします。

この前の忘年会シーズンは「南アに勝って、五郎丸フィーバーが起きてるけど、本当に日本人がそんなにラグビー好きなのか?って思うんですよ」とか評論家めいた口ぶりで話す人がいたけど、そんな話1000人くらいから聞いたからね、マジで。うん、マジで。もうやめてくれ、それはお前の意見ではない。お前が言わなくてもわかってる。お願いだから黙っててくれ。

あと夜の店の通ぶる奴ね。「プロに縛ってもらうと、痛くなくてあとが付かないらしいよ」っては話をしたり顔でするバカ。100歩譲って、お前の体験なら良い。それなら面白い。臨場感を持って、もっと熱く伝えてくれれば。でもさ、また聞きならさ、もう1000回は聞いたんだよ、そんなの。本人を連れてこい、縛られた本人を。縛る側ならなお良いよ。そして俺の前でいかにプロの縛りが素晴らしいか伝えてくれ。そんで縛ってくれ、その場で。そんで放置して帰ってくれ。それなら面白い。

最近面白かったのは、休職して青年海外協力隊ウガンダ行ったら「牛3頭でどう?」とプロポーズされた話。あと切り口で言うと会社の売店で万引きが増えているらしいという噂に対して「あんなタラタラ営業してたら、そりゃ万引きされるわ」という反論。誰も経験したことのない話や、みんな思ってるけど言っちゃいけない様なことを言う人が好き。「本当はあいつのことめちゃくちゃ嫌い」系の暴露話も良いですね。強い感情・強い想いが乗っている話はどんな内容でも聞いている人の心を動かすから。

コミュニケーションはサービス、本当その通り。エンターテインメントであるべき。驚きであり、恐怖であり、幸せであるべき。退屈な話ならtwitterでつぶやけ。ブログで垂れ流せ。

ウケる人になるのは辛い。みんなが右向いている中、いったん左を向く勇気、いやその場でおしっこをもらす必要がある。嫌われるかもしれない。うん、嫌われるよ、おしっこもらしたんだから。でも、誰かがあなたを評価してくれる、きっと。おしっこマニアが。そういうことなんですよ、コミュニケーションって。ウケるって辛いんですよ。サービスなんだから。身を削ることなんだから。誰かに好かれるということは誰かに嫌われるっちゅうこっちゃ。好きは好きじゃないものとの線引きなんだから。

しかも、ウケる技術も同じことをやってたら急にウケなくなる。だから、日々刷新し続けなくてはならない。新しい情報を得、新しい体験をし、新しい人に会い、新しい場所に行かなくては。

そういう無理ゲーな結論にいたり、私はウケる人を目指すのを辞めました。
これからは「何でも何処ででも」ヌケる人になりたいです。「ヌケる技術」。幸せな響きですね。