手に汗握るバトルが見所『魔法少女育成計画』
- 作者: 遠藤浅蜊,マルイノ
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2012/06/08
- メディア: 文庫
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表紙からして、電車で読んでいると白い目で見られることウケあい。本屋の端末でこの本を検索していたら妻から白い目で見られました。結局、メルカリで買いましたが、到着した時、妻がドン引きしていました。
「いやいや、違うんだ、この小説は単なる魔法少女ものではなくて、精緻なバトル展開で有名になったハードボイルド魔法少女小説なんだ」と言明すればするほどキモくなる不思議。魔法少女弁明のパラドクス。
単なる魔法少女ものってなんだよ。魔法少女が出る時点で、魔法少女ものなんだよ。魔法少女が出る時点で、成人男性が読んでたらキモいんだよ。
そんな一般解を意に介さないで良いほど、内容が深遠で、凄絶であれば助かる。そんな願いを込めて読み進めました。
結論から言いますと、まぁ、いわゆる魔法少女ものですわ。確かに絶対的に強い能力を持っている魔法少女を出し抜く場面とか、一番へぼい能力が身体能力MAXの相手を倒す場面なんかは、なかなか面白い。でも、それだけを純粋に楽しんで読書しているのならば魔法少女である必要が全然ない。X-MENで良い。白いセーラー服を着せる必要もスクール水着で戦わせる必要もない。
わざわざ魔法少女で戦わせる目的って「性的な対象として観るため」以外に思いつかない。
やっぱり魔法少女ものの本を読んでいる人は、スケベでロリコンなんだよ。俺も含めて。間違いない。
だから白い目で見るのが正解。成人男性がセーラー服とスクール水着を着ている年端もゆかない女の子と同士が戦っている小説を読んで興奮しているんだから、ドン引きするのが正解。
魔法少女ものにたいする一般解は常に正しい。
この事情にかんする特別解は存在しない。
あとライトノベルの言い回しってどうにもカッコつけた感じが気になる。「○○にいたっては常日頃からそういう想いがない訳ではない」みたいな。「ないわけではない」と言うべき個所と言うのはあるけど、「ある」で良いところに「ないではない」を使っちゃう、そんなメンドクササがライトノベルにはある気がする。もう読みません。