モフモフになれたら

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読後3日間寝込み小説『イノセント』

イノセント・デイズ (新潮文庫)

イノセント・デイズ (新潮文庫)


読後3日間寝込むという売り文句は言い過ぎではないほど、強烈な印象を残す小説です。語り口はなめらかで、物語の展開もわかりやすい。登場人物のキャラも想像に容易く、結末が気になってすらすら読めます。一気読み小説です。

ただし結末が…。
ここからはネタバレを含みますので、この小説をお読みになる予定の方はお控えください。








*****以下ネタバレ含みます******

あとがきで辻村深月が言及しているようにこの小説のすさまじさは主人公・田中幸乃の死への意思です。死刑になるために、絞首台に向かうその足取りで、今まで人生を狂わされてきた癲癇という病気に立ち向かおうとする様がすさまじいのです。彼女のこの意思は生きる意志ではなく、間違いなく死への強い意志です。これをすさまじいナニモノかであると形容するのはたやすいけれども、決してこれを肯定してはいけないと私は思う。



田中幸乃の言い分は「期待して裏切られるのが死ぬより怖いから」である。だから死への強烈な意思を持っている。これは弱い意志と言わざるを得ない。前のブログでも少しふれましたが、私の元妻も同じことを言っていた。「見捨てられ不安」というやつである。愛している人に捨てられる、親しい人に虐げられる、ことで死ぬ以上に傷つく、もう生きている間にこれ以上、傷つきたくないから死にたいのである。


これは前提が違う。あなたが人に見捨てられてきた人生なのではない。見捨てられない人なんてこの世に存在しない。ごめんけど、永遠に続く愛なんてないし、あなたをどんなことがあっても愛し続けられる人はいない。たとえ肉親でもあなたが求めるものすべてを与え続けられるわけではないし、永遠に愛を誓った恋人だって自分自身を優先してしまうこともある。それを見捨てられたと思うのであれば、仕方ない。あなたは見捨てられたのだし、これからもあらゆる人に見捨てられるだろう。


でも違うのだ。本当は見捨ててなんていないのだ。たとえあなたのわがままにこたえられなくなったとしても、情熱的な欲望の時間が過ぎ去ったとしても、あなたを別の形で愛しているのだ。「今頃あの子はどうしているのだろう」「あの時はとても楽しかったな」と思うことだって、立派な愛のカタチなのだ。たまにすれ違う人と挨拶を交わすことだって愛だし、落とした小銭を拾ってもらうことだって愛なのだ。それらは確かにそこに存在したという意味で、永遠の愛なのだ。そこら中に愛は溢れている。そのことに気づけない人にとって、この世界は地獄である。せっかく感じ始めた自分への愛情は必ず霧散し、誰かに奪われてしまう。それは辛い。そんな考え方をしている以上、絶対に幸せにはなれない。そういうものである。


実体験と重ね合わせて熱くなってしまいましたが、本当、嫌な気分になる小説でした。死への意思を賛美するのはよろしくない。凡人である我々は田中幸乃が前提とする世界観に唖然とするしかありません。


この世はそんなに悪いものじゃない。