モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

読むと大人になれる本 『「若者」をやめて、「大人」を始める/熊代亨』

超一流はてなブロガー「シロクマさん」の著書です。


「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?


東京タラレバ娘が流行っていた時に、ちょっと絡んでいただいたことがありまして、このブログもその記事が一番読まれたという経緯があります。


nanikagaaru.hatenablog.com


つまり、シロクマさんは私の恩人であり、勝手に師匠と思っているのです。


私はバツイチ子ナシ超大型犬ありの31歳。ちょっと昔なら決して「若者」でなく、子供を二人くらい持っているのが普通の「大人」と言われる年齢です。最近、「将来の希望のなさ」に目の前が真っ暗になる夜があります。もっと上の世代が「どんな希望を持って毎日生きているのか」が不思議に思えてきたりすることもあります。毎年毎年同じ仕事を続けている人、それも将来なくなるとわかっている仕事。出世することもなければ、異動を受け入れてくれるところもない。子供いないし、部下には抜かれていくし、楽しそうに日々を過ごしているようにも見えない、そんな人がたくさんいる。もしかして、これは将来の私かのかもしれない。



と言うのも、自分自身、前ほどエネルギッシュに人生を謳歌出来ていないと感じるからです。たまに学生時代の友人と会っても前ほど楽しく盛り上がれないし、ゲームを買っても2時間も経たずに飽きちゃうし、旅行先でも周辺観光する元気も出ない、というかそもそも旅行したいという欲が湧かない。毎日できるほど性欲もないし、新しい趣味を始める元気も時間もない。5年前の自分ならDeepLearningを一から勉強しよう、とか今からはブロックチェーンを極めよう、という熱意が湧いてきたのに、今ではとても手をつける気にならない。このブログでも「自分を諦めるな!」「何歳からだってなんでも始められるんだ、甘えるな!」とか言ってた気がする。それが今では、なんとなく半年が過ぎ、1年が過ぎていきます。こんなことで良いのか、という焦りが湧くけれども、何かを変えたい思いが強くあるわけでもない。ただなんとなく「虚しい」。



そんな虚しさを感じている人のための本です。この本を読むと、若者から大人に変わるということを少しづつ受け入れる準備が整います。自分なりにどんな大人になれるのかを考えるきっかけをくれます。私くらいの世代の人にはぜひ読んでほしい。

P45 常に新しいものを追いかけ、変化し続け、自分の可能性や欲求を追いかけるのが「若者」で、そうではなく他人の世話をするのが「大人」だとしたら、「大人」とは、なんにも成長せず、なんにも変化せず、世話するばかりで、生きていく価値も面白みもないんじゃないかと、あなたは思うかもしれません。

我々が映画「横道世之介」を観て、胸をときめかせるのは、「これから何にでもなれる若者」の輝きに憧れるからです。これからどんな人に出会って、どんな仕事を見つけて、どんな恋人とどんな思い出を作るんだろうって。人はまだ見ぬ希望というのが大好きなんだと思います。

私も、もう31歳ですから社会人としての若手の時代は終わりました。あの頃に出会った人たちの影響があって今の私がいます。昔の恋人といろんな場所に行って、いろんな思い出を作りました。今から全く新しい分野の勉強を始めることはきっと出来ないし、20代前半の頃のように毎週いろんなところにドライブして毎日刺激的な思い出を作ることも出来ません。


でも、きっとそれで良いのです。私も若者の時代があった。あの時の出会いや体験はもう心に刻まれている。それを思い出しながら、今を過ごしていける。それがあったから今を生きているのです。だから今幸せなのです。



今から何にでもなれるということだけが「希望」なのではなく、今までのことがあったから今を生きているというのも「希望」なんだと思います。そのことに気づけただけでも素晴らしい読書体験でした。




もう一つこの本に書いてあった大事な点。大人の恋愛について。

P172 パートナー選びの重点も、美しいセックスの相手や自分のアイデンティティを補強してくれるアクセサリとしての適性から、共に生きていくための相棒、お互いに背中を預けられる戦友としての適性へと変わっていくことになります。


もうホントそれ。「背中を預けられる戦友」これに尽きる。顔が良いとか、おっぱいが大きいとか、足が綺麗とか、んなこと本当にどうだって良いのだ。若い時はそれが分からない。綺麗でエロい彼女を紹介されるとめっちゃ羨ましくなっちゃう。ブスな奥さんをもらっていると嬉しくなっちゃう。これは大きな間違いだ。


セクシュアルなシンボルは絶対に失われる。性欲は根絶される。それだけは間違いない。でも生活は続いてく。性欲は30で失われるけど、生活は80歳まで続いていく。だからパートナー選びは性欲基準ではなく、もっと複雑で困難な基準を採用しなくてはなりません。一緒に生きていくパートナー選びの基準は間に落ちているゴミを率先して拾ってくれるかどうか、自分の背中が痒い時でも相手の背中を掻いてくれるかどうか、自分の人生を作ってくれた家族や友人を大切にしてくれるかどうか、自分の人生で達成したいことを応援してくるかどうか、です。



そう。実はこれってめちゃくちゃハードルが高いのです。美人と付き合うよりもっともっと大変なんです。だって美人は生得的に手に入れられるけれども、こういった要素は勉強、口癖、生活習慣、心構え、行動、運動、仕事、周囲の人間関係など全て複合して、しかもそれが何年も積み重ねられて、作られていくものだからです。


若い頃綺麗でチヤホヤされてきた女性ほど、こういうことはできるようになりません。だってゴミは周りの人が拾ってくれるし、背中は男たちが率先して掻いてくれるし、みんな自分中心に動いてくれているのだから。20代前半の一番見た目が輝いている時期の振る舞いは「さすがですー」「知らなかったー」「すごいですねー」「センスいいですねー」「そうなんですねー」だけで事足ります。表面だけ、のらりくらり対処していけば、幸せが向こうからネギを背負ってやってきます。でも、それはセクシュアルな魅力が担保されているから許されているに過ぎないことに気づかないといけない。そうしないと空っぽでイタイ女性になってしまいます。まぁ、若くて綺麗なだけの女性をチヤホヤする男が、そういう女性を生み出しているんですけどね。

私もようやく「良いパートナー」とはどんな人か、というのがわかるようになりました。これも若い頃の恋愛や去年の激しい離婚を経たからなんだと思います。


なにはともあれ、読めば読むほど、「大人」とは何かを考えることができる本でした。


私の若者の定義は「将来に希望を見出している人」です。
私の大人の定義は「希望と共に今を生きている人」です。