モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

リアルファンタジー 「タタール人の砂漠」


久しぶりの投稿です。本は引き続き読んでいるのですが、ブログを書くという習慣が抜け落ちてしまった感があります。一生ものの趣味になるかと思っていましたが、人間変わるものですね。思えば今年ももう終わりに近づいてきた。少しづつでも続けていきたいと思います。


さて、「タタール人の砂漠」読みました。ファンタジー小説かなと読み進めると、実はビジネス書的な一面があることに気づき、最終的にはホラー以外の何物でもないというすさまじい小説です。


世界観はファンタジーです。人々の交流は牧歌的で、機械文明も存在しない。両親が居て、友人がいて、恋人がいて、家にはニワトリが居て、毎朝たまごを生んでくれたものを喜んで食べる、みたいな。美女と野獣の世界みたいな。そんな世界観です。


主人公はある使命というか、夢を見て、仕事を始めます。きっとこの仕事の先にはこんなことが起こって、こんな自分になるだろう、そんな自分をみんなが見て、こんなことを言ったり、あんなことを思ったりするのだろうなぁと夢想しながら下積み時代を過ごします。


ところがどっこい。。。。


大どんでん返しとか。そういうことじゃないんです。


これは普通の人生なんです。普通の人生以外の何物でもないのです。


何も起こらない。マジで何も起こらない。夢見てたことは何一つ叶わない。でも時はどんどん過ぎていく。それにあらがう術はない。元気もない。体力もない。夢見る力さえ失われていく。そして気づいた時には自分以外のみんなが手にしたものを自分だけ手にしていないことに気づくのです。



自分の人生を読んでいるようで、辛くなりました。

もう夢見ていたような未来は来ないことも分かっています。このブログが急にバズって、書籍を出すこともないし。今の仕事が急拡大して、一気に最年少役員まで上り詰めることもない。情熱大陸に取り上げられることもない。ギターがうまくなることもないし、歌声が人々の心を震わすこともない。ただただこのまま目の前の石ころをよけながら、身体を引きずりながら日々生き続けるだけしかできない。たぶん、そう。


非常につまらなくて、くだらない人生。

でも、はない。

でも、〇〇だから。とかそんな美辞麗句は時の流れの前には無力だ。〇〇に価値を見出した瞬間、それは色あせ、興味を失っていく。


辛い。そう、辛いんです。


こんな過酷な人生を生きている主人公は最後に何を思うのか。日本のサラリーマンである私にも、他人事ではありえないと思う。