モフモフになれたら

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三度目の殺人

三度目の殺人

三度目の殺人

前回の「孤狼の血」と打って変わって。これは役所広司の人間臭さが最低の形で現れてしまった映画だと私は思います。

いろいろなサイトでこの物語の考察が行われています。そういう楽しみ方も結構ですが、この映画は「明らかに空っぽの物語」が「役所広司という凄まじすぎる役者」のせいで「何か意味がありそうな映画」になってしまっただけです。


エヴァンゲリオンと同じです。背景に真実、本当に起きた世界という設定が存在しない物語です。なので役所広司が演じた三隅という男の供述がコロコロ変わったり、十字架をかたどった儀式をしたり、昔の事件を思い出したり、ということに全く意味はないのです。


本当に全く何の意味もない。全くからっぽの人間であるはずの三隅を役所広司という人間的魅力が溢れまくりの人間が演じてしまったばっかりに、何か意味を見出せそうにみんなが勝手に感じてしまったのです。三位一体?キリスト教?咲絵を守るためにやった?母親を罰したかった?死刑になることが三度目の殺人の意味??いろんなこと言われているのは、役所広司の表情が、言葉が、深い愛情や後悔や優しさを体現しているように見えてしまうから。深淵な人生を覗き込んできたような目つきで語りかけるから、何か心の中で凄まじい地獄を抱えているような気がしてしまう。


でも違う。違うの。この話はそんな深いものじゃない。もっと軽くていいの。香取慎吾で良い。香取慎吾が三隅役だったと想像してみて!ね?何にもないでしょ?ただの空っぽのアホなやつがアホなことやったで終わったでしょ?それ以外ありえない。だってこの話をどれだけ真剣に分析したところで、作者自身が真実を知らないんだから、説明つく訳がない。

役所広司を使って、いかにも深淵な雰囲気を醸し出した酷い映画です。役所広司を無駄使いしないでほしい、全く。