モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

銃・病原菌・鉄(下)/ジャレド・ダイアモンド

下巻です。

p19 まったくゼロの状態から文字システムを考察することは、既存のシステムで使われているものを拝借するのに比べ、比較にならないほど難しい。発話、つまり、コミュニケーションの目的で人間が発する一連の音素を最初に文字で表そうとした人は、いま、われわれがあたりまえと思っている言語学的法則を自分で見つけ出さなければならなかった。

確かに文字を発明した人は偉大です。区切りのない音素を分解し、意味の差異を表すところだけを抽出して表象しなければなりません。例えば、話す人によって強弱や音程やリズムが違ったとしても、そこは文字として無視して良いかどうかの判断なんて並大抵の知性では出来い所業です。

p51 文字を早いうちに取り入れた社会も複雑で集権化された社会であり、階層的な分化の進んだ社会であった。中略、これらの文字を読み書きしていたのは余剰食料によって支えられた官吏たちだった。狩猟採集民の社会では文字が発達しなかった。

ジャレド・ダイヤモンドの学説の最も強調すべきところは、”人類の文明は全て食料生産から始まった”というところでしょう。政治活動も文字の発明も全ては食料を生産することが出来、余剰な食料によって食料生産以外の労働力を賄える様になってから、生まれるものである、ということです。

p62 われわれは著名な例に惑わされ、必要は発明の母という錯覚におちいっている。ところが実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものをつくり出そうとして生み出された訳ではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされた後に考え出されている。また、一般大衆が発明の必要性を実感出来るのは、それがかなり長い間使い込まれてからのことである。

火薬も武器も大型船舶も製鉄技術も全てユーラシア大陸で産まれたのは何故か。一部の天才の出現によってもたらされた神のいたずらか。否とダイアモンド氏は言う。発明は人間の好奇心から、どこの世界でもランダムに生まれるため、その発明が大きく社会に寄与するかどうかは、それを活用する社会的慣習に起因すると言うのだ。たとえば、エジソンの蓄音機は当初後述録音再生マシンとして発明されたが、社会が音楽の再生録音として使い始めた。自動車でさえ、馬に満足していた民衆の心を切り替えるのに発明から50年を要したと言う。もし素晴らしい発明が生まれても、それを受け入れる土台がない社会では決して根付かない。我々が恩恵を受けている発明以外にも、もっと素晴らしい用途を持ちながら消えていった発明品があったのかもしれない。つまり、新しいものを触ってみようという文化や風土が発明を発明たらしめるのであって、決して一部の天才からしか生まれない、という訳ではない。

p141 食料生産は人口の増加を可能にし、複雑な社会の形成を可能にする。中略、われわれの観察結果は、小規模血縁集団や部族社会といった集団が、数十万規模の人口の受け皿としては生き残れないこと、既存の大規模社会が複雑に集権化されていることを示している。

ダイアモンド氏は人口が増加すると国家が形成されるメカニズムを4つの理由をつけて説明します。1、小さい社会なら諍いや争いの仲裁は親戚で対応可能だが、数万人規模になると仲裁できる人間がおらず、あらゆる人間との争いが起きる。2、中央集権化しないと社会的な意思決定が出来ない。3、効率的に大人数を生かす為には中央集権による資源の再分配システムが必要だった。4、人口密度が高い社会では一人当たりの資源が少なく自給自足出来ない。1の理由は政治学を学んだことのある人ならピンとくると思いますが、ホッブズの社会契約論と同じですね。”万人の万人による闘争”が自然状態であり、それを放棄する為に国家が形成された、と。社会契約論には諸説ありますが、この本ではこういう考え方のようです。

この後、ニューギニアやヨーロッパ、アフリカについての考察が続いていくのですが、同じ方法論を当てはめていくだけなので、そろそろまとめます。

この本の当初の設問「なぜ白人がこの世界を規定するようになったか」に対して、この本では「ユーラシア大陸が他の大陸より自然環境が恵まれていたからだ(決して知能が高かった訳ではない)」という説明をしてくれました。

つまり、肥沃な三日月地帯には人間の食料生産に適した穀物が沢山、自生していた御陰で、他の大陸より早く食料生産を開始出来た。食料生産の開始➡潤沢な食料による人口増加➡複雑な社会集権国家の誕生➡官僚や文化人、科学者など、食料生産以外の人間の誕生と繋がった。

さらに、大型ほ乳類の家畜化が、ユーラシア大陸の人類に伝染病の耐性を持たせ、その伝染病が新大陸の破滅に追い込んだ。

植物は温度や湿度によって大きく繁殖能力が変わってくるため、東西への適用能力は高くても、南北へは移動しにくい。そのため東西に長いユーラシア大陸には早く広く食料生産が伝わり、南北に長いアフリカ大陸、アメリカ大陸には伝わらなかった。

以上の理由によって、ユーラシア大陸の人間が、ニューギニアアメリカ、オーストラリア、アフリカ大陸に大きな影響を行使し、政治システム、経済システムを牛耳ることが出来たのである。

・・・ふむ。

ん?

ちょっと待って!と日本人なら誰しもが思うでしょう。 ユーラシア大陸って言うけど、世界を牛耳っているのは実際はヨーロッパ(とヨーロッパ移民で構成された国々)である。決してアジアではない!同じユーラシア大陸なのになんでこんなに差が出てしまったんだ!!と。

その答えはP374以降に書いてあるので、気になったら読んでみて下さい。

本書は非常に簡潔で分かりやすい社会理論を展開してくれているので、素人でも大変読みやすい。でも、ちょっと大雑把というか、あっさりし過ぎている恐れはあります。クリアカットな理論は何でも切れて、気持ち良いけれど、小さな真実が埋もれてしまわないか少し心配になります。

ゼロ年代最高の本、とはちょっと言い過ぎですが、大変面白い本です。自信を持ってお勧めします。