死ねばいいのに
- 死ねばいいのに/京極 夏彦
- ¥1,785
- Amazon.co.jp
『この作品は、京極夏彦の新たな代表作になる。』と帯で大々的に謳っている。タイトルもセンセーショナルなので、買ってみた。
平日の夜に少しずつ読んで5日間くらい、さっき読み終えた。
『死ねばいいのに』っていう言葉は最近じゃあ良く聞く。
例文
「宝くじあたったんだー」
「へー、おめでとう。死ねばいいのに。」
みたいな使い方を主にする(僕は)。
さらに、各章に「一人目」「二人目」などと分けられていたので、人々の恨み辛みを書きつづった小説なのかと予想していた。
これは霊的なものを扱った小説ではない、且つ、人間の醜悪な実態を曝け出す僕の大好きなジャンルの小説なのではあるまいか、と読んでみたのだが、期待を良い意味で裏切られた。
まず、「死ねばいいのに」という言葉は上記の例文のような文脈で使われていない。「そんなに死にたいなら、死ねばいいのに」という意味の「死ねばいいのに」だ。
そう、提案だ。
「ご一緒にポテトもいかがですか?」的な「死ねばいいのに」だ。
内容はというと、各章ごとに異なる人物が一人称で出来事を滔々と語る。
すべてが渡会健也なる青年との対談だ。
この男が非常に無礼で無知で生意気で頑固で自分に対して素直なのだ。それもムカつくほど・・・。
この男と話すと全員がムカついてくる。読んでいる方もムカつく。早く殴れって思う。
けども、章の中ごろになると、どうもこの男のペースに乗せられてくる。怒りにのせられ、いらないことをベラベラ喋って、ぼろを出す。この男を非難しようとしている自分の論理も破綻していることに気づく。
最後にはこの男の素直な言い分の方が説得力を持ってくる。
単純で無垢な理屈に大人の事情が負ける様は、自分が知らぬ間に積み上げてきた価値観を大きく揺さぶりかける。
社会に出ている人間はみんな不条理に投げ出され、我慢して言い訳して、「仕方ない」と自分を納得させて生きている。自分は悪くない、周りが悪い、と自家撞着している。そう思わないとやっていけない、のだろうか・・・。
でも、ふと素直に一つ一つの事象を観ていけば、本当に悪いのは周りだけか?と疑問が浮かんでくる。
自分だけが素晴らしいと誤魔化していた世界の化粧が取れた瞬間、そこに立ち現われるのは、醜い自分の裸である。
この男は、人間の醜い裸を映す鏡である。
そして、この男の正体とは・・・・。
生きていくことの難しさ、幸せとは何かを考える材料をいろんな角度から提供してくれる良作だった。
かなりオススメの作品。
まさに京極夏彦の代表作となると思う。