モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

I support you

がんばろう日本

日本は強い

僕らはひとつ

奇跡を起こそう とかいうポジティブな言説をよく聞くようになった。 こういう言葉は頼もしいし、優しいし、心強い。 ただ、目の前で愛する人を失った人の悲しみの前で、『我々はあなた達を応援している』という言葉にどれだけ力があるのだろう、とふと思った。 悲しんでいるのは日本全体なのは間違いないけど、全てを失った人の悲しみはまさに自分自身の悲しみであり、失ったものの代用は効かない。貨幣という形で支払うことはできても、ふるさとや思い出や家族を失った悲しみは、日本という擬制が引き受けられる種類のものではない。 その喪失を社会全体として捉えて、『我々が失ったものは我々で作り直そう』という形で発信するのは人間らしい温かみを含んでいるし、すごくポジティブなことだとは思うけど、そのことで満足してしまってはいけないのだと気づいた。 いま悲しみに打ちひしがれている人に必要な言葉は 複数形で語られる we support youではなく、『私』は『あなた』を応援する、というI support you の方なんじゃないかと思った。 繋がりが寂しさを紛らわせてくれるし、共同体を作ることで食料や燃料や生活の面で効果的だから、こんな時にはひとくくりで扱うことも必要かもしれない。 でみ、哀悼の意をささげるときや、悲しみを想像する時、募金やボランティア活動をする時に想像しなくてはいけないのは、東日本とか被災者っていう曖昧なカテゴリーじゃなくて、悲しみに打ちひしがれている『あなた』なんじゃないのかな。 相対する『私』と『あなた』を想起するところから始めなければ、後々に物語りとして語る資格さえ持つことができないんじゃないのかな。