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あの根源的問題について⑥ ハイデガー=存在神秘の哲学/古東哲明

「次はハイデガーに迫る」と書いたエントリーからもうすぐ一年が経とうとしていますね。ハイデガーの本は、1月時点ですでに読んでいたのですが、なかなかまとめるのに骨が折れそうだと思い、保留にしておりました。もう年末ですし、年初に掲げた課題はここで片付けておきましょう。

 

ハイデガー=存在神秘の哲学 (講談社現代新書)

ハイデガー=存在神秘の哲学 (講談社現代新書)

 

 

ハイデガーの入門書は何冊も読んできましたが、どれも分かったような分からない様な、歯に物が挟まったような読後感を与えるものでしたが、本書は違います。おそらく、ハイデガーの入門書ですらない。ハイデガーが言おうとしていた一つ、二つのテーゼについて「こういうことなんだよ」と情理を尽くして語りかけてくれる本です。

ただ、その一つ二つのテーゼが「あの根源的問題」を考えるにあたって大変重要や役割を担っているので、ここに記します。

P52 存在神秘とは、この世の存在の法外な凄さに撃たれる体験。「神の死」の時には、不安や吐き気の対象でしかなかったこの世この生。その存在の事実が、気づいてみればあまりにも凄い。あまりに凄すぎ<この世ならぬ>ほどの驚嘆を引き起こす。この世ならざるなにか超絶的な説明原理でも想定しないとおさまりがつかない。それほどこの世の存在を、あるいはこうして生きていることそのことを、神々しく思うということである。だからもう、それだけで充分なのだ。

ここだけ抜き出すと、なにか異様なテンションで、神やら超絶原理やらを持ち出す怪しい人間のようですが、そうではありません。目の前にパソコンが在る。座っているイスが在る。これを読んでいるあなたがいる。よくよく考えてみると、「在る」ってことは凄まじいことだと言うことです。

「そりゃパソコンくらいあるよ、お小遣い貯めて買ったんだから」という意味ではありません。”何か”が”存在する”ということ事態が凄まじすぎると言っているのです。だって”存在しないもの”なんてそれこそ無限にある。むしろ”存在しない”ということが常態なのではないのか。”なにもない”世界、”世界がない”、なんてこともあっていいのだ。ありえる。むしろずっとそうだった。でも、今ここに世界はあるし、あなたはここにいる。なぜだ!!?わからない。この存在を後ろ立てる理論がなにもない。神が作った?いやいや神の前に、”存在”があるはずだ。神が”存在”しないと神が存在を別のものに与えることができない。だから、全ての根底は存在なのだ。存在こそが神なのだ。そう言っているのです。

死ねば確かに存在しなくなるだろう。当たり前だ。でも、確かにあなたは存在したのだ。なぜか?全く分からない。でも存在した。全く永久に存在しない、ことだってあり得た。でもあなたは存在した。死ねば存在が消える?そりゃそうだ、だって、それが常態だもん。でも、なぜか、本当の奇跡が起こり、あなたは存在した。あなただけじゃない。あなたの家族も友人も愛する人も「本当に奇跡的に」存在してくれた。

もう、それだけで充分じゃないか。

確かに死は全てを奪う。でも存在したことは絶対に消えない。存在した事実を消すことは出来ない。なんの因果律もなく、なんの理由もなく、なぜか存在するこの世界。次の一瞬にはすべてが消えるかもしれない。そんなこと誰にも分からない。でも、たしかにあなたとわたしは存在していて、たしかにお互いを見つめ、言葉を交わし、お互いの存在を確かめ合った。時には喧嘩をしたり、嫌いになったり、この世界を呪ったこともあるだろう。それでも、またみんなで、食事を楽しんだり、音楽を奏でたり、旅行に行ったり、何度だってこの世界を祝福しよう。

そう考えると死への恐怖が霧散していかないでしょうか。
わたしとあなたが存在している。
忘れられないあのひとが存在していた。
たしかに一緒に生きていた。それだけで充分である。


Mr.Children 新曲 『放たれる』

遥か遠い記憶の中で あなたは手を広げ
抱きしめてくれた まるで大きなものに守られている
そんな安らぎを感じる 今でも・・・

もう二度とその温もりにその優しさに触れないとしても
いつまでも消えない愛が一つあるの それで強くなれる
だからもう恐れることはなにもないの
心は空に今そっと放たれる

Mr.Children 「放たれる」

根源的問題を考えるシリーズ 完