モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

人は死んだ  『サピエンス全史』『ホモデウス』 ユヴァル・ノア・ハラリ

人は死んだ。

この言葉が頭に浮かんだのは、話題の本「サピエンス全史」とその続編とされる「ホモデウス」を読んだからです。ここまで価値観を揺さぶられたのは大学時代にカールポパーの科学哲学に触れたとき以来です。どうやってこの感動というか、動揺を伝えられるのかわかりません。私の頭の中でもきちっと論理立てて整理されていません。でも断片と断片が浮遊していて、これをつなぎ合わせると大変なことになる、ということが確信としてあります。とにかく今の頭の中に浮遊している断片を言葉に表してみます。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福


まずは「サピエンス全史」の方に軽く触れます。


人類の誕生から資本主義と民主主義の発展までの過程を丁寧に紐解くことで、現代の我々も決して絶対的に正しい価値観の中で生きているわけではないことを気づかせてくれます。今目の前のことをよくするためにした活動が深化して拡大すると、どんな影響が起こるのか分からないまま、私たちは暮らしています。


日常的によく話に出るのは携帯電話です。携帯電話のおかげで待ち合わせですれ違うこともなくなったし、いつでも要件を伝える事はできるようになりましたが、逆に休暇中でも相手の要求に答えなければいけなくなりました。海外出張中でも、新婚旅行中でも、携帯電話でいつでも仕事が出来てしまう。便利な世の中にするために作られた携帯電話も本当に世の中の人々を幸せにしているのだろうか。これはサラリーマンのぼやき。



農耕も同様。食料を安定的に供給できるようになったけど、人口が増えて、定住地では病気が蔓延し、子供の死亡率は跳ね上がり、狩猟採集の時代よりも格段に労働時間が増えた。死亡率を上回る勢いで人口が増えるので土地を拡大せねばならず、隣の部族との土地の取り合いが始まり、組織と組織で大規模な殺し合いが起きた。農耕がなければ大規模な戦争など始めようもなかった。


車が発明され、安価で製造されるようになったことで、移動コストが劇的に下がり、遠方に出かけることも、地方の特産物を運ぶことも大変容易になり、人とモノが爆発的に循環するようになった。車社会を維持するために、車そのものだけでなく、部品製造、燃料、道路など様々な産業が大きく成長することになった。資本主義を支えているのは産業の王様、自動車である。一方、国際戦略研究所(IISS)によると、世界全体での武力紛争による2016年の死者数は15万7千人。それに対して交通事故死者数は130万人と言われる。人々が自動車によって得られる恩恵と自動車によって命を落とす悲劇を数値化して差し引きすれば、自動車の便益が算出される、そんな単純な話なのだろうか。真剣に議論さえしていない。だってどんなに人が死んだとしても、いまさら自動車をやめるわけにはいかないからだ。


P119 より楽な生活を求める人類の探求は途方もない変化の力を解き放ちその力が誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた。農業革命を企てた人もいなければ穀類の栽培に人類が依存することを求めた人もいなかった。数人の腹を満たし少しばかりの安心を得ることを主眼とするささいな一言の決定が累積効果を発揮し古代の狩猟採集民は焼け付くような日差しの下で桶に水を入れて運んで日々を過ごす羽目になったのだ


ここまではよくあると言っては何ですが、教科書的な、ある意味理想的なリベラルアーツ本と言っていいでしょう。今の我々の生活がどんな風な経緯で形成されたのかを振り返って、今の生活を違った目線から見てみる。これは非常に面白い経験です。



ところが、この続編とされる「ホモ・デウス」の内容がすごい!!!!すごいなんてもんじゃない。天変地異です。今まで天だと思っていたモノが地面になっちゃうくらいの超弩級の衝撃本です。


ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来


きちんと読んでない人が、「この本によると、これから格差社会がより広まっていく」とか「日本が生き残るにはどうしたら良いのか」とかわけわかんないこと言ってますが、そんな内容の本ではありません。格差社会とか日本の生き残りとか、そんなことクソどうでもいいのです。副次的どころか副々々々々々々次的なことです。この本の主題は明らかに「人間至上主義の崩壊」です。





もう一度言います。この本は「人間至上主義が崩壊する可能性」を予知した本です。





大変重要なことなので、忘れないでください。
人間至上主義は崩壊します。







厳密にいうと非常に高い可能性で崩壊します。





これがどのくらいのインパクトがあることか。わかりますか??わからない??では順を追って説明します。ここからは「ホモ・デウス」の内容からかなり逸れますが、この本を読んで私が考えたことを綴っていきます。


まずはあの有名な言葉から。





神は死んだ。






あまりに有名なニーチェの言葉です。19世紀に科学主義が台頭してくるずっと前。言語が生まれ、意思疎通が出来るようになった3万年くらい前。人間は共同幻想、つまり物語・神話を共有するようになりました。なぜそうすることになったのかは分からない。でもみんなで共有するようになった。そうすることで人間たちは組織を作れるようになりました。一つの目的を共有出来れば、同じ目的に向かって歩調を合わせることが出来ます。歩調を合わせて組織を作れば、大型動物を狩ることも出来ますし、大きな建造物を作ることも出来ます。



目的を持てる、それはつまり理由が背景にあるということです。言い換えると、人間の行動に「なぜ」と聞くことが出来るようになったということです。


神話のおかげで、この世の中の目的、理由、仕組みを説明できるようになりました。


「なぜ最近、雨が降らないのか」
「神の怒りをかったためだ。怒りを鎮めるために、供物を捧げよう」


「なぜ空には綺麗な光が瞬いているのか」
「神が想像した世界だ。美しいのは当たり前だ。」


「なぜ私はここにいるのか」
「神が作ったからだ、神の意志ははかり知れないが、神が全てを把握されている」


「なぜ流行り病で人間がこんなに死んでいくのか」
「神の怒りだ。人間が増えすぎたためだ」


と言う風に。そこまで大きな疑問でなくても、リンゴがおいしい理由、この仕事を続ける理由、この町が出来た理由、あらゆる理由付けは神話によってなされました。宗教とも言います。キリスト教イスラム教も仏教もみんな一緒です。聖典の中に書かれている一言一句に、この世の全ての仕組み、理由が書かれているという共同幻想。この神話の中で人々は3万1900年間安寧の中で暮らしていました。







いや、嘘です。






安寧ではありませんでした。その暮らしは内実、危険で、苦しくて、惨めで、辛かったに違いありません。神に祈っても雨は降らないし、聖書の通りに暮らしても食べ物は増えないし、トーテムポールを作っても猛獣は襲ってくるし、お守りを貰っても病気は治らなかったからです。




前述した通り、人間は賢いので、少しづつそんな暮らしをよくしていきました。少しづつ目の前の暮らしをよくしていこうという営みが科学を生み出しました。




どうやら星は地球の周りを回っているのではなく、地球が星の周りを回っているらしい。動物同士を掛け合わせると違う形質を持った動物が生まれるらしい。病気になるのは目に見えない細胞やウイルスによるものらしい。人間は動物から進化した生き物らしい。




次々発表される科学の言説と今まで人間が信じてきた神話との間には大きな矛盾がありました。しかも、神話より科学の方が様々な説明がうまくついている。神話の通りに暮らしても暮らしは豊かにならないけれど、科学の言う通りに暮らせば楽しく豊かで便利に暮らせそうだ。最初は多くの反発がありましたが、人間は徐々に神話を捨てました。3万年間も信じ続けた神が消えていく。これが「神は死んだ」ということです。





神が死に、この世の中は無秩序で、破滅的な世界になるかと想像した人もいたはずです。でもそうはなりませんでした。神の代わりになるものが現れたからです。神がいた場所に何が居座ったかというと、科学と人間至上主義です。




科学だけではダメでした。科学はこの世の中のあらゆる仕組みを説明してくれますが、究極的な存在意義は与えてくれないからです。人を殺してはいけない理由も、拷問がいけない理由も、戦争をしてはいけない理由も、科学では説明できません。中心を人間に置くことでそれらの説明が一旦つくことになりました。人間は意思を持ち、知能を持ち、感覚を持ち、意識を持ち、学習する至高の存在である。なので人間を傷つけたり、失ったり、人間の意思を強引に曲げるようなことは悪である、というルールが浸透しました。いま宗教がある意味尊重されているのも「あなた自身があなたの選択で神を信じているのなら正しい」という人間至上主義の一つの成果です。人々は神を尊重しているのではなく、神を尊重しているあなた自身を尊重しているのです。


この人間至上主義というのはありとあらゆるところに浸透しています。音楽や芸術の価値は人々が感動するかどうかで計られ、経済は顧客の自由意志によって選択されるものが至高となり、教育は自分の頭で考えられるようになることを目的としています。すべてのテレビドラマ、映画、小説は人間がどう考え、どんな感情の動きがあり、どんな決断をしたかが尊重されます。カタストロフィの映画でも、小説でも、いつも最後は恋人や家族への愛が至高であるというメッセージが発せられ、我々は改めて人間の素晴らしさを胸に刻むのです。




当然、私が今まで考えてきたことも、教えられたことも、判断してきたことも、すべて人間至上主義の中にあったと言っていいと思います。自分の悟性を働かせて考え続けることが哲学であり、それがもっとも尊いことだと信じてきました。やりたいことのために転職したり、好きな人と結婚したり、嫌な人と離婚したり、子供を可愛がったり、虐待死された子供を憐れんだり。言ってしまえば、すべてが人間至上主義的行動であり、そもそも、それを批判したり、客観視したりする視座を持てるのかどうかすら疑問です。それだけ人間至上主義というのは生活に根付いたものなのです。




ところが!!!



人間至上主義の隣に座っていた絶対的な権威を誇る科学。その中の一分野、生命科学がとんでもないことを暴き出してしまいました。



人間の思考は脳の神経細胞に走る電気信号の作用によるものであることがわかったのです。人間の思考が物理現象の結果現れるものだと分かれば、あとは他のすべての物理現象と同じ。ある意思決定の際に発生した神経細胞の電気信号の発火ははまたある別の電気信号が原因で発火したものです。それはお腹が空いて血糖値が下がっていたのが原因かもしれないし、そう反応することで生き残ることが多かった遺伝子のある意味自動的な作用かもしれません。ダーウィンの進化論を疑っている人もいないでしょうが、進化論はアンチ人間至上主義に大きな力を発揮しています。恋愛は人間至上主義にとって至高の感情ですが、今目の前にいるあの人にこんなに恋い焦がれる理由ですら、進化論で論理的に説明できてしまうのですから。肌がすべすべ=疫病にかかっていない、体がムチムチ=子供を出産できるくらい体力がある、筋肉隆々=敵に襲われた時に守ってくれる、イケメン=他の異性にモテるということは自分の子供がモテなすぎて遺伝子が途切れるという可能性を最低化出来る、という風に。


人間の思考が電気信号による作用、つまり物理現象なのであれば、人間が何を考えて、どう行動するかはすべて数式で説明がついてしまうということです。それは非常に難解で複雑なアルゴリズムかもしれませんが、アルゴリズムである限りコンピュータと本質的には何も変わらないことになります。アルゴリズムであれば、再現性があり、予測可能で、コントロール可能であるということです。


それを裏付ける実験結果が世界で次々に発表されています。現代の生命科学の成果として、うつ病の患者の脳に電極を埋め込むことでうつを脱出させることもできるし、電磁場を発生させるヘルメットを装着させれば冷静沈着冷酷無比な戦場のスナイパーを作り出すこともできます。


人間の思考がアルゴリズムであることがわかれば、次に起きることは想像に難くありません。


ダイエットを決意したのにどうしても食べてしまうあなたに電極を埋め込めば、強烈な意思で食事制限をし、過負荷の筋トレをこなすようになるかもしれない。そんな健康促進サービスがあったら利用してみたいと思いませんか?朝起きて会社に行くのが辛い?だったらこの枕を使うと良い。毎朝スカッと目が覚めてウキウキ気分で会社にいけます、と言われたら使ってみたいと思いませんか?


さらに人間至上主義にとって都合の悪いことに、人間は実は自分自身のことをよくわかっていない、ということが心理学のあらゆる実験で明らかになってきています。思い出して物語る時の自分と、周りにいた人が語る自分が違う人間のようだと感じたことはありませんか?人間の考えなんてコロコロ変わるし、性格も思考も好き嫌いも変わっていくもの。自分がどんな人間なんて自分自身が一番わかっていない。でも、人間の思考はアルゴリズムなんだから、科学の力をもってすれば解明できてしまうのだ。


すでに企業は人間のパーソナルデータを取りに行っています。どういう行動を取る人は次にどんな行動をとるのか。最先端企業があなたの行動アルゴリズムを導き出している。Googleのディスプレイ広告もそう、Amazonのおすすめ機能も同様、Facebookはあなたの恋人よりもあなたの性格のことを理解しているらしい。



保険会社は次々健康増進サービスを提供し始めています。あなたがどのくらい運動し、喫煙し、健康診断でどんな結果だったのかを調べています。え!??健康診断の結果提出しないんですか?もったいなか!?と美人女優に言わせることで、さらに保険料を割り引くことで自らパーソナルデータを提供するように仕向けます。さらにウェアラブルアプリを提供し、何を食べ、何時に寝て、何歩あるいているのか計測しています。次に提案するのは「もう少し歩きましょう」「甘いものは控えましょう」という健康増進の提案でしょう。でも、あなたがそれを拒否したらどうだろう。アプリの提案を無視して、どんどん不健康になる。後悔するのはあなた自身。きっとあなたは病気になった後「なんでもっと強く注意してくれなかったんだ」と怒るでしょう。そこで前述した「きちんと運動して、きちんと食事管理ができる」サービスの需要が生まれる。このチップを頭に埋めれば、魅力的な身体になって健康に長生きできます、その魅力に打ち勝てるほど強固な自己を持ち続けていられる人はどのくらいるだろうか。


今話題の自動運転も同様。今は高速道路や駐車場の補助機能だけかもしれない。しかし、GoogleもTeslaもUberToyotaも目指すところは同じ。完全自動運転の実現だ。最初はA地点からB地点まで届けてくれるだけかもしれない。でもみんなが埼玉から東京、横浜から東京に向かうと言ったらデータサーバーの人工知能はどんなルートを案内するだろう。いつもの道路が工事中の日でも良い。いつものルートではなくて、こちらから回ったほうが近いですよ、と提案するに違いない。もっと言えば、今の時間よりももう少しズラしたほうが空いてます、ちょっとこの店でコーヒーでも飲んでから行きましょうよと提案する。自動運転AIが人間たちの行動をコントロールするようになります。だってその方が人間たちが心地よく過ごせるのだから。


休日にディズニーランドに行きたい?片道3時間かかって、園内でも6時間待ちですよ?だったらもっと空いていてあなたの嗜好にあった観光地をご案内しますよ!自動運転AIはそんな気の利いたサービスも提供可能です。つまり交通の最適化というのは生きる場所の最適化に向かう。全員が東京に住むよりは、ある程度地方に分散して住んだほうが合理的だとAIが判断したら・・・。仕事はネットとテレビ会議でできますし、エンターテインメントもあなたにあったものをご提案いたしますよ、だからもっと北の方に家を建てませんか??



SF映画によくある様な、AIが人間より賢くなって世界を征服してしまう、というシンギュラリティが起こるとは私も思いません。人間が暴走するAIを作るわけがないし、そんなやり方をするのは合理的でないから。

でも、AIが人間がよりよく生きるための手助けを素晴らしい段取りで提供し、最高の成果を上げてしまうと、人間は次第にそれに従う様になる。農業が自動化され、食物が自動生産されるようになる。工場も完全自動化され、完全自動運転の車が自動で生産される。食物が自動で運ばれる。自動車が走るための道路も自動建設機械が整えてくれたものだ。アルゴリズムが計算した「人間がもっとも感動するであろう映画」や小説、音楽が毎日自動配信される。人間が健康に健やかに暮らせるような献立をAIが考えて、ロボットが作ってくれる、自分がこうありたいと思う人間になる努力ができる様に脳のチップが電気を流し込んでくれる。それらのAIは壊れる前にどの部分を直したら良いのかアルゴリズムが判断し別のロボットが交換してくれる。もちろん、「より人間のために良いAIにする」という至上命題を叶え続けながら。AIが何より人間より優位に立てる点は教育コストが安いところです。人間は天才を育てるにもやはり20年はかかってしまう。でもAIは一度その概念を学習してしまえば、永久に記憶し続けます。だから過去のありとあらゆるデータと概念を駆使しして計算し続け、人間とは比較にならない速度で進化し続けられる。


やがて人間は、休日の過ごし方、ご飯の食べ方、運動の仕方、をAI管理されるようになる。ここまでくれば、人間に残っている仕事は残りわずかでしょう。おそらく、より楽しく毎日を過ごすこと、が人間に残された使命になる。でも、より楽しく暮らせるように考えてくれているのはAIの方だ。ここで人間ってなんだっけ?という問いが人間の中で生まれる。人間に何の価値があるんだろう??人間至上主義の中にあっても神がまだ密かに生き続けているように、AIによるデータ至上主義が蔓延しても、わずかに人間の価値は残るでしょう。でも、「え?神っていないでしょ?」と同じ仕方で「え?人間って要る?」という疑問が生まれてくると私は思う。



そして月日は経ち。当たり前に地球資源の限界が目の前にやってくる。どれだけ効率的にエネルギーを生み出す方法が見つかったところで物質は永遠ではない。太陽だって寿命はあるのだ。



人類は、というかAIはどうやって人類を生きながらえさせるか考える。このまま好き勝手人間を増やし続けて全員もろとも絶滅するのか、それとも別の方法を探すのか。それを判断するのは人間なのか、AIなのか。



人間は維持するのにコストがかかりすぎる。肉体が成熟するのに10数年、知能や精神は20年かかってやっと一人前。1日三回の食事を取り、運動をするスペースも必要、目的を遂行するだけでは精神が持たないので余興も必要、それで寿命は長くても100年ときたもんだ。一方、AIなら電力と少しの鉱物でいくらでも継続可能だ。自重も軽いので、宇宙を移動する時のコストが比較にならないくらい安い。地球を捨てて、別の生命維持可能な星を探そう、という時に、人類はきっとAIにその使命を託すことになる。人間みずからがAIに主導権を渡すだろう。自動でエネルギーを補充し、自動で鉱物を採掘し、自動でデータを増やしていくそのアルゴリズムが人間の次の世界の担い手になる。




ここで人間至上主義は消える。


人は死んだ。


人間の価値よりもAIとデータの価値が重くなった世界。



AIは人間が生活できない世界でも自己複製し続ける。過酷な惑星の隅っこで。エネルギーになりそうな物質を見つけ、そのエネルギーを燃焼しながら、ありとあらゆるデータをとって分析し続ける。誰も人間のいない世界。AIだけが星に散らばり、データを交信し続け、次の星を見つける作業を延々と続けるでしょう。それは100年単位の話ではなく、何万年、もしくは何億年単位なのかもしれません。ではそのAIは一体なんのためにデータを収集し、自己複製し続けているのでしょうか。そのアルゴリズムの命題は「次の星で人間を作れ!」なのかもしれません。でも、そこで生まれた人間はAIに生かされた瑣末な存在に過ぎないでしょう。彼らには何もできません。もう人間至上主義は終わったのです。これからはAIがひたすらこの世界を分析し自己複製し、何億年も何兆年も動き続け、この「世界が一体何なのか」を解き明かしてくれるのかもしれません。そう思うと、私は、気絶しそうなくらい、ワクワクしてきました。だって、この世界の本当の謎を解き明かす唯一の可能性を見つけることが出来たんだから。今の人間では糸口すら見つけることが出来なかった、この世界の形而上学的問題を。



というわけでこれからはAIをどれだけ進化させるか、に人類の目的は収斂される、と私は思います。
この本の著者がこういう結論を書いたわけでは全くありません。あくまでも私の考えです。
皆さんはどう思いますか?