モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

内田さんに聞いてみた「正しいオヤジ」になる方法/木村政雄vs.内田樹

軽くて読みやすい上に、面白い知見も多分に含まれていて、良本でした。 「正しいオヤジ」になる方法について書かれた本ではなく、それを『内田さんに聞いてみた』って言うところがポイントでした。内田先生は家父長制度の絶滅を予期しているので、木村さんが想像しているオヤジの復活についての道筋が語れる事はありません。木村さんはなんとかそこに話をもっていこうとするけど、内田先生が人ごとみたく、話をそらしていくのが面白いです。

以下、面白かった部分を紹介。

p16 神経症的にきれい好きの人がゴミをその辺に散らすやつに対して非寛容になるように、自分は清潔で、強くて、高潔で、上品だと思っているような人は、弱い人間に対して冷たい。中略、自分はピュアであると思っていて、その純粋さや清潔さを基準にして他人を見て、査定しようとする人間は、社会的にどれほど地位があっても、年を食っていても幼児だと僕は思います。(内田)

おっしゃる通りです、先生。綺麗好きな人はだらしない人と生きていけないけど、だらしない人は綺麗好きの人とも生きていけます。だらしないという言葉はマイナスイメージですが、寛容できる人、人間に弱さに対して寛大な人、という意味ではより大人なのですね。

p57 成熟とは年をとるにつれて、手持ちのカードが増えていく事。例えば、六歳のときは六歳までの経験しかないけれど、十六歳になれば自分の中に赤ん坊の時の経験も小学生の時の経験も、中学生の時の経験も生き生きとストックされている。それだけ共感できる身体性や感受性も増えてゆく。中略、若い頃は「それはおかしい」と感じていたことも、年齢を重ねるうちに「やっぱりそういうこともあるよね」と思える様になる。(内田)

素晴らしい知見だと思います。年を取る事は相手のいろんな経験に身体的にも感情的に共鳴出来る様になる事。まさにその通りだと僕も思います。だから、学生に対して社会人目線で説教する人や、新人に対して自分の今の価値観を押し付けて否定的な評価を下す人は、成熟していないのです。「就職人気ランキングなんて、ほんとCMの効果のみだよな、学生って社会のことなんもしらないバカなんだから」なんて言う社会人、あなたが学生のときもそうだったでしょ?それを忘れちゃ駄目だよ。「今の新人は敬語も出来ない、あり得ない」とか言う先輩、あんたもそうだったんだよ、出来なかった頃の自分を思い出せないあなたの頭の方が問題だよ。

p113 でも、いじめの加害者や傍観者に向かって、「おまえたちは人間として卑しいことをしている」と告げる権利が自分にはないと思っている子供はつっぱれない。かつて自分も加害者であり、傍観者であったという経験をした子供はいじめに対して打つ手がないんです。そして、今学校で起きているいじめの最大の特徴は、できる限り多くの子供がいじめの加害者または傍観者となることで、いじめを批判できる倫理的な優位性そのものがつぶされているということだと僕は思うんです。中略、僕は自殺するところまで子供が追いつめられたのは、その子供自身がかつて一度「いじめを容認する立場」をとってしまったことによって、自分にむけられたいじめを論理的にも倫理的にも押し戻す権利をうしなってしまったという仕掛けのせいじゃないかと思っているんです。(内田)

昨今、いじめや暴力に関する議論が盛んになっていましたが、この洞察が最も真を穿っている気がしました。いじめは、善と悪の二元論で片付かない。いじめる方が圧倒的に悪い、という簡単な構図ではない。いじめていた、あるいは傍観者としていじめに加担していた子がいじめられた時に、彼に逃げ道はあるのだろうか。学校を変わるとか、先生に言いつけることで目の前のいじめは止まるかもしれないが、自分が「かつて、行っていたこと」がどんな意味を持っていたかを知ったときの彼の苦悩は、誰にも救えない。先生に言っても、両親を頼っても、「今が死ぬほど辛い」と訴える事は、自分も死ぬほど辛いことを相手に強要していたと認めることだからだ。問題を解消する方法は、「こんなことどうってことない」と感情を消すことしかない。自分も何とも思わない、だから自分のやっていたこともどうってことない。そうするしか自分を正当化することができない。そうやっていじめを乗り越えた人間がきちんと成熟した大人になれるかは甚だ疑問だし、身体感受性を下げたままの人間の生命力はあまりに脆い。この本で、いじめ問題の解決法が語られる事はありませんでしたが、またどこか内田先生の本で出会えることを期待したいと思います。(私の頭では分からないので)

p135 いずれにせよ日本父権制は全面崩壊という局面ですから、もはや父権性の再構築は無理です。できるのはせいぜいどんなふうにして壊れたのか、現場検証して、とりあえず跡地に掘建て小屋でも建てて、そこでぼんやり雨露をしのぐという感じですね。(内田)

ここで、父権制の復活可能性が一刀両断されています。さらにあとがきで身もふたもない内田先生の意見が書かれており、「じゃあ、こんなタイトルの対談しなくてよくないですか!」とツッコミを入れたくなりますが、それでも、面白い対談になったので、さすが内田先生、というところです。