モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

「読まなくてもいい本」の読書案内 ――知の最前線を5日間で探検する /橘玲

分野横断的に知の最前線を覗ける良本です。テーマは複雑系・進化論・ゲーム理論功利主義等。知の歴史を辿りながらどんな議論がなされてきたか臨場感を持って体感できます。「読まなくてもいい本」と言われると、逆に読みたくなるのが人の性というもので、この本を読むと読みたい本がもっと増えます。

本の中で触れられているように、自然科学の進歩は凄まじくて、とりわけIT分野への期待は完全に同意。シリコンバレーでは次々に面白い事業が発生していて、そこに暮らしを置いたらどんなにエキサイティングだろうと夢想してしまいます。新しい世の中をつくるのは間違いなく自然科学の分野でしょう。

一方で、著者の社会科学、というか人文科学、とりわけ哲学への憎悪が凄まじい。ここまでくると哲学者全般への恨みがあるとしか思えない。たぶん、一見して分かるような書き方をしない彼らに対するルサンチマンがあるのだろうなぁ。

哲学への批判として、小難しい数式を散りばめた何の意味もない論文が、権威のある冊子に掲載されてしまったという事件が取り上げられていますが、それ一つをとって哲学全てが「無意味」であり「誰も何もわかっちゃいない」と断ずるのは早計過ぎると思います。この判断が許されるのであれば、Natureに小保方論文が掲載された一つをとって「生命科学全ては捏造である」と切り捨てられてしまうでしょう。

「いろいろ小難しいこと言っているけど要は○○なんでしょ」というまとめ方は非常に気持ちがいい。聞いている方も、言っている方もドーパミンがドバドバ出ているに違いない。一方で、難しいことを考えることは辛いことだ。自分の頭の悪さを自分自身にさらけ出すことだし、時間も取られるし、とにかく体力を消耗する。だから人は簡単に要してくれる言説にすがり付くのだ。でも、忘れてはいけない。その要した○○にはかならず、小難しくて、シチメンドクサイ元の言説から抜け落ちた何かがあることを。ドゥルーズガタリの研究を「要は複雑系のことでしょ」と臆断することは「ショーシャンクの空に」を見ないで「要は希望は捨てるなってことでしょ」と言っているくらいもったいないことだと思う。そんな一言言いたいがために映画を撮ったのではない。映画だけではない。小説も音楽も絵画も舞台も落語も、手紙だって料理だって、あらゆる創作物がそうだ。別の何かを言いたいのではなく、「ただそれ」を示すために作られ、あなたに届けられたのだ。そんなギフトの両端を切り落として、皮を剥いで、中の柔らかい部分だけを堪能して分かった気になって良いのだろうか。

だから、読まなくてもいい本なんて、ないんだよ、たぶん。 次はドゥルーズを攻めたいと思います。