モフモフになれたら

本と映画と仕事と考えたこと

クボタのCMに腹が立っている件

最近、農機関係の方とお話する機会があったのですが、めちゃくちゃクボタ売れているらしいです。あの長澤まさみのCMを流すようになってから。ドイツで「農業!大好き!クボタ!」と歌って踊ってお祭り騒ぎしたり、日本で「朝から農業!」と歌って踊ってお祭り騒ぎしたりして、企業イメージがものすごく良くなったそうな。地元の小さな農機修理会社にも若者が就職希望するようになってくるくらいの効果。完全に斜陽だったのに。学生就職希望者も増えているようだ。


ちょっと、落ち着け、若者よ。おっさんからの忠告だ。ちゃんと聞いてほしい。信じてくれないかもしれないけど、聞いてほしい。これさ。ウソなのよ。この人たち。クボタの農機を使っている人たちは普段、長澤まさみと踊りながらトラクター乗ってないのよ。ビール飲んだり、ギター弾いたり、お祭り騒ぎで笑ったりしてないのよ、長澤まさみと。マジで。だから君がクボタに就職したところで、長澤まさみと「朝から!農業!」と歌って踊れる瞬間は絶対に訪れないんだ。ごめんな。うん。確率でいうと0%。まじでゼロ。安室透もびっくりするくらいゼロ。


クボタの農機買っても同じ、長澤まさみは来ない。水質改良機買っても同じ、1000万円の機械かってもダメ!

いや、わかる。気持ちはわかる。就職活動するとき、会社の実態なんて外からじゃ全くわからん。1mmもわからん。だから会社のCMとかオフィスの受付の雰囲気とかで会社選んじゃう。うん、俺もそうだった。俺が就活のときなんて、大和証券のCM、エビちゃん出ててん。今じゃ考えられないかもしれないけど、当時エビちゃんって、超ウルトラスーパーミラクル必殺カリスマモデルだったのよ。エビちゃんCanCamで来てた服は売れまくるからその現象をエビ売れって言われてたくらい。これはもう社会現象。今のニコるんよりすごいかも。いや、ごめん。それはウソ。ニコるんはすごい。あの子は賢い。最初はなんじゃこのヘンテコモデルはって俺も思った。でも今ではひな壇にニコるんがいるだけで安心する。むしろいないと寂しい。ニコるんは別格。いやいや違うそうじゃない。そんな話をしているんじゃない。話を戻そう。そう、エビちゃんだ。エビちゃんがもう歳だから、さすがにCanCamはきついねってことで、AneCanが出来てん。ほら、CanCamってキャンパスライフ的なあれじゃん、ネーミングもそれじゃん、だから年齢が大事やねんな。まぁそれはいいや。そのエビちゃん大和証券のCMに出てたから、大和証券大人気よ。結構な友人が大和証券に入社した。みんな「エビちゃんと合コンできるなら仕事頑張れる」とか言ってた。で、そいつらどうなったと思う?エビちゃんと合コン出来たと思う?ううん。出来なかったの。誰も。合コンどころか・・・。会社に行ってもね、エビちゃん、いないのよ。大和証券に。なぜか。そう。それはCMだから。テレビコマーシャルだから。虚構だから。企業イメージを上げるための飛び道具に過ぎないから。そう悟った彼らは全員、悶絶の上、失禁して死んだよ。


こんなこと言ってる俺もね。本当イメージだけで会社選んじゃったの。受付の女の子がゆるふわの感じが良い子だったから。この会社もゆるふわで良い感じだろうと思って、入社しちゃったの。それが大間違いだったね。全然違った。めちゃくちゃ泥臭かった。比喩じゃなくて。ガチで泥まみれになった。泥に革靴がはまって抜けなかったこともある。ほんと、あれは辛い。


つまりさ、CMの雰囲気とか、受付の雰囲気とか、その会社の実態と全く関係ないって事を言いたいわけ。今のクボタのCMを当時の俺が見ていたら、間違いなくクボタを第一希望にしてたと思う。それくらいインパクトがある。就活したって、特にいきたいと思えるところがなくて、どうしたらいいか分からない学生には輝いて見える。「お、クボタって堅実そうだし、長澤まさみもいるし、こんなに楽しく歌って踊って暮らせるなら、良いかもな」って思っちゃう、理系の大学院とかにいる世間知らずのおぼっちゃんは絶対思ってると思う。俺が今学生だったら思ってると思う。


その子達に警鐘を鳴らしたい。マジで、騙されるな。いや、良い会社かもしれないよ。でも、長澤まさみには会えないから。絶対会えないから。農業農業いって歌って踊ることは絶対ないから!!そういう動機では志望しないように、いーじょ!

the four GAFA 四騎士が作り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

Bricsという言葉は久しく聞かなくなりましたが、最近はこの造語をよく聞きますね。GAFA

世界を席巻するIT企業、GoogleAmazonFacebookAppleの四社の頭文字をとった言葉。


この本を読んで一番恐ろしいと感じたのはAmazonでした。Amazonはまだまだ大きな野望と可能性を持っているし新しいサービスを展開していくことでしょう。ただの生活用品ECサイトじゃない。Googleは想像通り、知の巨人。これからもGoogleを中心にテクノロジーが進化していくことは間違いない。


対照的にAppleはテクノロジー企業でも、革新的企業でもなく、ただのオシャレブランド企業であることが丸裸にされます。ビジネス的には世界で一番うまくいきましたが、それはテクノロジーで世の中をワクワクさせたからではなく、セクシーさでワクワクさせたからだと。


Facebookは他の3つと比べると、あまり力を持っている気がしません。私のような30代のおっさんが一番SNSから遠い世界にいるせいかもしれません。数十億人の個人の嗜好を知っているからって何なんだ、という気がしてしまいます。インスタグラムも絶対に廃れます。mixiの盛衰を体感してきたので、そんな気がしてしまうのです。私の周りでFacebookに日常的に投稿している人なんて1%くらいです。Facebookに正直な自分を晒している人なんていません。いつでもかっこよくて友人に囲まれていて人生を満喫している一部だけです。インスタなんてやっている人、ひとりもいないし…。Google使わない日はない、iPhone持ってる、Macbookでこれ書いている、この本はAmazonで買った、でもFacebookだけは全然関係ない!!



話は変わるのですが、先日、仕事の関係で上海に行ったんですよ。本当にびっくりしました、中国。今時海外旅行言ってもiPhoneさえあれば街中のwifiつなげれば何とかなるじゃないですか。でも中国はそういうわけにいかない。iPhonewifi繋いでも何もできないんですよ。中国ではGoogle使えないから、SafariChromeに検索ワード入れても検索結果が返されないんですよ。だから何のサイトにもいけないの。行き先へのルートもわからないし、グルメ情報もわからない。サイトを見るにはURLを直打ちするしかないんですけど、調べ物したいときにURL直打ちなんて出来ないから大変ですよ。仕方ないから中国のポータルサイト百度から検索しようと思うじゃないですか。でもまず百度への行き方がわからないわけ。だから日本にいる人に百度のURL聞こうと思ってLINEしようとしたんですよ、すると当然LINEも使えないでやんの!!もうどうしたら良いかわかんない、って思ったときに気づきました。私の生活はGoogleiPhoneに支えられて成り立っていたのだなって。あと英語も全く通じないの!どれくらい通じないかっていうとレストランで「check」って言っても通じないレベル。中国語が出来ないと食事の会計も出来ない。でも広大な国土だし、人口も莫大だし、若者もたくさんいるし、起業もたくさんあるし可能性の大きさは日本の比ではない。中国から見たら日本なんて、端っこにあるちょっとだけ豊かな土地、くらいの認識なんでしょうね。東京の人から見る「愛知県飛鳥村」くらいの感じよ。「あぁ、あそこね、リッチらしいね、狭いけど。」くらいの興味しかない。日本にいたらGoogleAppleAmazonもないと生きていけないけど、中国の12億人の民はそれらなしで生きているし、ある意味では我々よりもデジタル化が進んでいたりする。どこもかしこもAlipayQRコード支払いだし、昼ごはんはオフィスでワイマイを頼んでるし、タクシーはディーディーがないと乗れないくらい。GAFAの次の覇権を取るのは中国の企業かもしれない。もはや世界の覇権取らなくても中国だけでも凄まじいんだけどね。

一方、日本ではQRコードは支払いは流行りそうにないし、フードデリバリーは絶対衛生上ダメとか言って普及しないし、タクシー業界が強すぎてライドシェアも進まない。日本は今までのアナログのやり方である程度うまくできてしまったからデジタル化する必要がなく、逆に取り残されてしまっているのかもしれない。また話変わりますけど、日本車ってダサいじゃないですか。あれは最小の工程で効率よく、安全性高く、プレスで生成できるようにプレスの方が進化してしまったせいらしいですよ。欧州はプレスがそこまで進化出来ず、人の手でやってたから、かっこいいボディデザインがキープ出来たとか。すなわち、その場その場で最良の選択だと思ってやったことも長い目でみれば、なんじゃこりゃって結果になることも結構あって、逆も然り。でもどんな結果になるかなんて事前には誰もわからないわけだから、結果がこうなったっていうのは仕方ないというか、誰を恨むでも羨むでもなく、いいでも悪いでもなく、行き着く先は「let it be」「あるがまま」としか言いようがないですよね。



たしかにGAFAは強大な影響力を持ちました。最近、はてなでも退職エントリーでGAFAに転職というのが流行ってる。今でこそ彼らが四強として持て囃されているけども、それがどれだけ続くかもわからないし、彼らが導く世界がより自分を幸せにしてくれるかは誰もわからないよね、と思う。日本の大企業でレガシーシステムと戦いながら生きるのも一つの生き様だし、人の手で手間暇かけて食べ物を作り続けてもいいし、狩猟採集を続けていたって良い。年齢とともに価値観が変化したって当然良い。旧態依然とした大企業からGAFAに行って、数年してから戻っても良い。


最近、あれでも良い、これでも良い、っていう相対主義的な価値観に陥っている気がする。だって、こだわると議論になって疲れるんだもん。年取ったよ、32歳。。

三度目の殺人

三度目の殺人

三度目の殺人

前回の「孤狼の血」と打って変わって。これは役所広司の人間臭さが最低の形で現れてしまった映画だと私は思います。

いろいろなサイトでこの物語の考察が行われています。そういう楽しみ方も結構ですが、この映画は「明らかに空っぽの物語」が「役所広司という凄まじすぎる役者」のせいで「何か意味がありそうな映画」になってしまっただけです。


エヴァンゲリオンと同じです。背景に真実、本当に起きた世界という設定が存在しない物語です。なので役所広司が演じた三隅という男の供述がコロコロ変わったり、十字架をかたどった儀式をしたり、昔の事件を思い出したり、ということに全く意味はないのです。


本当に全く何の意味もない。全くからっぽの人間であるはずの三隅を役所広司という人間的魅力が溢れまくりの人間が演じてしまったばっかりに、何か意味を見出せそうにみんなが勝手に感じてしまったのです。三位一体?キリスト教?咲絵を守るためにやった?母親を罰したかった?死刑になることが三度目の殺人の意味??いろんなこと言われているのは、役所広司の表情が、言葉が、深い愛情や後悔や優しさを体現しているように見えてしまうから。深淵な人生を覗き込んできたような目つきで語りかけるから、何か心の中で凄まじい地獄を抱えているような気がしてしまう。


でも違う。違うの。この話はそんな深いものじゃない。もっと軽くていいの。香取慎吾で良い。香取慎吾が三隅役だったと想像してみて!ね?何にもないでしょ?ただの空っぽのアホなやつがアホなことやったで終わったでしょ?それ以外ありえない。だってこの話をどれだけ真剣に分析したところで、作者自身が真実を知らないんだから、説明つく訳がない。

役所広司を使って、いかにも深淵な雰囲気を醸し出した酷い映画です。役所広司を無駄使いしないでほしい、全く。

孤狼の血

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ヤクザ映画というものを初めて観ました。一緒に観た彼女にはめちゃくちゃ不評でしたが、私としては素晴らしく面白い映画でした。


マル暴を演じる役所広司がカッコイイ!!迫力が半端じゃない。ヤクザより怖い。全くカタギに見えない。


粗暴で下品で身も心も汚い。なのに、何か惹かれるものがある。登場人物が全員、役所広司演じるガミさんを慕っているのがわかる。観客もガミさんを嫌いになれない。こんなに酷いことしているのに。こんなに無茶苦茶な人間なのに。役所広司の表情一つ一つに、言葉の節々に、人間の愛らしさというか、どうしようもない人間の魅力、病みつきになりそうな臭いを嗅ぎとってしまう。決して良い臭いではないのだ。ラベンダーとか取り込んだばかりの布団とか、そういう臭いではなくて、犬の肉球の裏とか、ガソリンスタンドとか、くんくん嗅いではいけないけど、ついつい嗅いでなんとなく心が満たされてしまう、そういう臭いなのだ。


松坂桃李もウブでクレバーなキャリア刑事にぴったりで素晴らしかった。この二人をキャスティングした時点で本作は歴史的名作になることが決まっていましたね。本当に素晴らしい俳優ばかりでした。

リアルファンタジー 「タタール人の砂漠」


久しぶりの投稿です。本は引き続き読んでいるのですが、ブログを書くという習慣が抜け落ちてしまった感があります。一生ものの趣味になるかと思っていましたが、人間変わるものですね。思えば今年ももう終わりに近づいてきた。少しづつでも続けていきたいと思います。


さて、「タタール人の砂漠」読みました。ファンタジー小説かなと読み進めると、実はビジネス書的な一面があることに気づき、最終的にはホラー以外の何物でもないというすさまじい小説です。


世界観はファンタジーです。人々の交流は牧歌的で、機械文明も存在しない。両親が居て、友人がいて、恋人がいて、家にはニワトリが居て、毎朝たまごを生んでくれたものを喜んで食べる、みたいな。美女と野獣の世界みたいな。そんな世界観です。


主人公はある使命というか、夢を見て、仕事を始めます。きっとこの仕事の先にはこんなことが起こって、こんな自分になるだろう、そんな自分をみんなが見て、こんなことを言ったり、あんなことを思ったりするのだろうなぁと夢想しながら下積み時代を過ごします。


ところがどっこい。。。。


大どんでん返しとか。そういうことじゃないんです。


これは普通の人生なんです。普通の人生以外の何物でもないのです。


何も起こらない。マジで何も起こらない。夢見てたことは何一つ叶わない。でも時はどんどん過ぎていく。それにあらがう術はない。元気もない。体力もない。夢見る力さえ失われていく。そして気づいた時には自分以外のみんなが手にしたものを自分だけ手にしていないことに気づくのです。



自分の人生を読んでいるようで、辛くなりました。

もう夢見ていたような未来は来ないことも分かっています。このブログが急にバズって、書籍を出すこともないし。今の仕事が急拡大して、一気に最年少役員まで上り詰めることもない。情熱大陸に取り上げられることもない。ギターがうまくなることもないし、歌声が人々の心を震わすこともない。ただただこのまま目の前の石ころをよけながら、身体を引きずりながら日々生き続けるだけしかできない。たぶん、そう。


非常につまらなくて、くだらない人生。

でも、はない。

でも、〇〇だから。とかそんな美辞麗句は時の流れの前には無力だ。〇〇に価値を見出した瞬間、それは色あせ、興味を失っていく。


辛い。そう、辛いんです。


こんな過酷な人生を生きている主人公は最後に何を思うのか。日本のサラリーマンである私にも、他人事ではありえないと思う。

失うものがない人と守るべきものがある人のどちらが強い?

ちょっと前にさまぁ〜ずの神ギ問の最終回がありました。

 

そこで「失うものがない人と守るべきものがある人のどちらが強い?」という疑問が取り上げられました。

 

 

有名歌手の歌詞とか有名経営者のスピーチとか僧侶とか哲学者とかの言葉が引き合いに出されて意見が割れていました。

 

 

番組的にも守るべきものがある人の方が強いという流れでしまりました。私も守るべきものがある人が圧倒的に強いと思います。

 

 

だってそもそも失うものがない人なんていないから。少なくともその戦いの場にはいない。なぜなら行動に移す動機がないからです。

 

 

失うものがない人の方が強い例として、大きく賭ける事が出来るからとか、好きな事が出来るから、とか言われてましたが、彼らは自分のプライドとか、立ち向かう自分というのを失いたくないから、その場に立っているのです。本当に何もかもがどうでも良ければ勝負に出る必要がないのです。

 

 

無敵の人が犯罪に走る例があります。職無し友無し家族無し未来無しの彼らは失うものが無いから無敵と言われていますが、本当は違います。何かをして社会に爪痕を残したいという欲望、今のイライラを晴らしたい欲望を彼らは守りたいと思っています。自分自身を強く守りたいと思っています。誰よりも。だから行動に移しました。

 

 

本当に失うものがない人は本当に何もしません。だって彼らは自尊心も自己肯定感も何もかも持ってないんですから、勝負の場に立つ動機がありません。勝とうが負けようがどうでもいいんです。

 

 なので守るべきものがある人の方が強い。というか、守るべきものがないと勝負をしないと思います。

 

 

日本公開中止となった問題作「マザー!」

マザー!」観ました。ジェニファーローレンスが好きなので。



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喝采とブーイングが入り乱れる評価らしい本作。Yahoo映画でも低評価ばかり。「時間の無駄」とか「ただただ不快なだけ」とか「ひたすら意味不明」とか酷い評価が並びます。Yahoo映画は基本的に信じる派なのですが、極端な作品は低くなりがちなので、こういう場合は逆に見たくなります。



結果。私、個人的には結構好きです。星4つ。


いろんなブログで書かれている通り、この映画は聖書をモチーフにしている。というか聖書の話をそのまま擬人化というか大衆化というか、下劣化して映像化したもの。主人公のジェニファーはマザーアースで、旦那は神で、謎の来客はアダムとイブで、暴れる訪問客は大衆、という風に。


「ふむふむ、なるほど聖書というのはこんなに酷い話なのか、こんな本を崇拝しているキリスト教ってやばいな」と思われることを嫌がる人、もしくはそういう人からの批判を恐れる人が忖度して、日本での公開を中止にした訳です。


この映画のどのシーンが聖書のどのシーンだって、あてはめて観ることは楽しいけれども、実はそんなことはどうでも良い。これを見たところで「キリスト教はあほらしい、すぐに棄教すべきだ!」とは誰もならないから。


問題は、この純粋無垢な妻と博愛主義過ぎて自己中な夫と意味不明な大衆たちの行動を見て、観た人がどう感じるかです。決して普遍的なメッセージではないとは思います。妻は世の中の女性像を表象していないし、夫は男性社会のシンボルには絶対ならない、あんな訳の分からない大衆がいきなり押し寄せて家を爆破することはまずない。


しかし。しかしである。誰でも少しは自分の中の汚いものを彼らの行動の中に見つけてしまうのではないだろうか。相手が嫌がっているのに自分が楽しいことを押し付けていないだろうか、人のものを欲しいと思ったことはないだろうか、してはいけない場所でしてはいけない事をしたくなることはないだろうか、出来ることなら一回この世界をリセットしたいと渇望したことはなかったか。



それらの欲望が極端な形で具現化したのが「マザー!」の世界であって、聖書の中だけの世界でもなければ、我々が生きている世界と縁遠い世界でもない。だから見てて不快だし、公開中止にしてほしくなるのだと私は思います。


また何の教訓がなくても、エンターテインメントとして非常に面白い映画です。次に何が起こるか分からないワクワク感。奇想天外すぎる登場人物、斜め上を行く超展開。これほどのハチャメチャエンターテインメント映画はなかなかない。


公開中止にしている場合じゃなかったですね。ぶっとんだ映画好きな人には超お勧めです。